長崎土産の定番として親しまれているカステラですが、この名前はポルトガル語の「Castella」に由来し、もとをたどればスペイン中央部にあった王国カスティーリャの地名を指す言葉でした。菓子の味や材料を表す言葉ではなく、「カスティーリャ地方で作られたもの」という産地を示す言葉が、時代を経て菓子そのものの固有名詞として定着したことになります。しっとりとした黄色い生地と、底に残るざらめ糖のじゃりっとした食感でおなじみのこの菓子は、名前の成り立ちをたどるだけで中世スペインの城塞史から幕末の志士の逸話、現代の海外輸出まで幅広い話につながっていきます。ここでは語源の核心となる地名由来説を軸に、異説の妥当性や日本伝来の経緯、老舗の歴史までを順に整理していきます。

カステラの名前はスペインの王国カスティーリャに由来する
カステラの語源は、ポルトガル語の「Castella」です。これは「パン・デ・カステラ(pão de Castela)」、つまり「カスティーリャのパン」を意味する言葉に由来します。カスティーリャとは、現在のスペイン中央部にかつて存在した王国カスティーリャ(Castilla)のことで、ポルトガル語ではこの地名を「Castella」と表記していました。
つまりカステラという単語は、もともと菓子の製法や材料を表す言葉ではなく、「カスティーリャ地方で作られたもの」という産地を示す言葉でした。地域名がそのまま料理や菓子の名前として定着していく例は日本語にもあり、讃岐うどんや信州そばと同じ現象だといえます。カスティーリャ地方で親しまれていた菓子は「ボロ・デ・カステラ(Bolo de Castella)」、すなわち「カスティーリャの菓子」と呼ばれ、これが日本に伝わる過程で「カステイラ」から「カステラ」へと発音が変化していったようです。
なお、ラテン語までさかのぼると「Castella」は「castellum(カステルム)」に由来し、これは砦や小さな城を意味する言葉です。菓子の名前でありながら、その根っこには中世ヨーロッパの城塞をめぐる歴史が横たわっていることになります。
カスティーリャという地名は城塞が並んだ国境地帯から生まれた
カスティーリャという地名は、この地域に築かれた無数の城(カスティーリョ、castillo)に由来するとされます。カスティーリャ王国は10世紀ごろ、イベリア半島中央部に成立したキリスト教国でした。当時のイベリア半島はイスラム勢力とキリスト教勢力がせめぎ合う最前線で、国土回復運動(レコンキスタ)が数百年にわたって続いていました。
アストゥリアス王国など北方のキリスト教勢力は、イスラム勢力との境界地帯に次々と城塞を築き、そこに軍を集中配置して防衛線を築いていました。その結果、この一帯は城だらけの土地として知られるようになり、やがて「カスティーリャ(城の地)」という地名として定着したと伝わります。
カスティーリャは9世紀にレオン王国の東方辺境として生まれ、1065年に独立した王国となりました。その後レコンキスタの中心的な担い手として勢力を拡大し、1479年にはアラゴン王国と統合されてスペイン王国の礎を築いています。菓子の名前の裏には、中世スペインにおける対イスラム防衛戦争の歴史と、そこから生まれた地名の成り立ちが隠れているわけです。
「城のように高くなれ」という掛け声由来説には無理がある
カステラの語源については地名由来説が最も有力ですが、これ以外の説も知られています。よく紹介されるのが、卵白を泡立ててメレンゲ状にする際、スペインやポルトガルで「城(カステロ、castelo)のように高くなれ」という掛け声をかけていたことに由来する、という説です。菓子作りの現場から生まれた掛け声由来のエピソードは親しみやすく、言い伝えとしてもよく紹介されます。
ただし、この説には時系列の面で疑問が残ります。卵白を泡立ててメレンゲ状にする立て泡法という製法が一般に広まったのは、カステラが日本に伝来した後の時期とされているためです。そのため掛け声由来説がカステラという言葉そのものの起源になったと考えるのは無理があります。現在では、この説は後世に付け加えられた言い伝えの一種であり、直接の語源としては採用しにくいという見方が妥当なようです。
スペイン王室からの輿入れがポルトガルに菓子を運んだ可能性
近年注目されている説として、カステラの原型となった菓子はスペイン王室とポルトガル王室の婚姻関係を通じてポルトガルに伝わったのではないか、というものがあります。17世紀にポルトガル宮廷の料理人が著したレシピ本『料理法(Arte de Cozinha)』には、カステラとほぼ同じ製法を持つ「ビスコウト・デ・ラ・レイナ(王妃のビスケット、biscoito de la Rainha)」という菓子が記されています。
当時のポルトガル王室はスペイン王室から王妃を迎えており、この婚姻を通じて王妃付きの料理人や宮廷文化とともに菓子の製法もスペインからポルトガルへ運ばれたのではないか、という見方です。この説が正しければ、カステラの祖先にあたる菓子はカスティーリャで生まれ、ポルトガルで育った菓子だったことになります。地名としての「カステラ」という呼び名と、実際の菓子の伝わり方が、婚姻という人と文化の交流によって重なり合っていたと考えると、単なる言葉の由来以上の重みを感じさせます。
パン・デ・ローがカステラの直接の原型となった
現在のカステラの原型とされているのが、ポルトガルの伝統菓子「パン・デ・ロー(Pão de Ló)」です。卵と砂糖、小麦粉というシンプルな材料だけで作られるこのスポンジケーキは、中世末期にはすでに「カステラ・ケーキ(パン・デ・カステラ)」と呼ばれ、カトリックの祝祭日に供される菓子として各地の修道院で修道女たちの手によって作られていたとされます。
現在でもポルトガル各地には、地域ごとに特色あるパン・デ・ローが伝わっています。中でも有名なのが「オヴァール(Ovar)」の街に伝わるパン・デ・ローで、大量の卵黄を使い、中心部がほぼ液体状に近いほどしっとりした、濃厚な食感が特徴です。日本のカステラとは異なり、パン・デ・ローは今も半生に近い状態で食べられることが多く、軽さよりも卵の風味の濃さを重視する傾向があります。ざらめ糖や水飴を加えてしっとりした独自の食感を追求していった日本のカステラと比べると、方向性が異なる点も興味深いところです。
ザビエル来日前後の南蛮貿易で長崎に伝わった
カステラが日本に伝えられたのは、16世紀後半、織田信長や豊臣秀吉が活動した安土桃山時代のことです。1549年にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが布教のために鹿児島へ上陸しており、この前後の時期にポルトガル人によって南蛮菓子とともにカステラの製法が日本に持ち込まれたと伝わります。カステラは金平糖やカルメラ(カルメ焼き)、ボーロといった南蛮菓子の一つとして扱われ、当時の日本人にとっては見たことのない甘さと食感を持つ珍しい菓子でした。
当時の日本には白砂糖はほとんど流通しておらず、卵をふんだんに使った甘い菓子というもの自体がありませんでした。そのためパン・デ・カステラは貴重な南蛮渡来の珍味として、貿易の窓口であった長崎を中心に広まっていきます。鎖国政策下でも長崎は特別に対外交易の窓口として機能し続けたため、カステラは長崎の地に根を下ろし、長崎カステラとして独自の発展を遂げていきました。
水飴とざらめ糖が長崎カステラ独自のしっとり感を生んだ
ポルトガル伝来のパン・デ・ローと、現在日本で親しまれているカステラとでは、味わいも食感もかなり異なります。日本人の嗜好に合わせる過程で、カステラには本来のレシピにはなかった工夫が加えられていきました。その代表例が水飴とざらめ糖の使用です。
生地に水飴を加えることで、時間が経ってもパサつかない、しっとりとした質感が生まれました。また焼き上げる際に型の底へざらめ糖を敷くことで、生地の水分を吸ったざらめが溶けきらずに残り、底面にじゃりっとした食感のアクセントが生まれます。しっとりした生地と底のざらめのざらつきという組み合わせは、ポルトガルのパン・デ・ローには見られない、日本で独自に確立された特徴です。長い年月をかけて日本の菓子職人たちが試行錯誤を重ねた結果、カステラは南蛮渡来の菓子でありながら、実質的には和菓子に近い性格を帯びていきました。
福砂屋と松翁軒、文明堂という長崎三老舗が製法を守り続けている
長崎には江戸時代から続く老舗のカステラ店がいくつも存在し、なかでも福砂屋と松翁軒、文明堂は長崎三大カステラと呼ばれています。
| 老舗 | 創業 | 特徴 |
|---|---|---|
| 福砂屋 | 寛永元年(1624年) | コウモリのマークをロゴに用いる。ヨーロッパでコウモリは幸運の象徴とされる |
| 松翁軒 | 天和元年(1681年) | 長崎市本大工町で初代・山口屋貞助が創業。現在も長崎と福岡にのみ店舗を構える |
| 文明堂 | 明治時代 | 「カステラ一番、電話は二番」のCMソングで全国にカステラを広めた |
福砂屋は長崎でも屈指の歴史を持つ老舗で、コウモリのマークは南蛮貿易の時代からのつながりを感じさせる意匠です。松翁軒は長崎市本大工町に店を構え、砂糖漬けやカステラを商ったことに始まるとされ、希少な二店舗のみで伝統的な製法を守り続けています。文明堂は前の二店に比べると創業は新しいものの、全国的な知名度は非常に高く、日本全国にカステラという菓子の存在を広く浸透させた立役者です。これらの老舗が数百年にわたって受け継いできた製法の蓄積こそが、今日の長崎カステラというブランドを支える基盤になっています。
表記は「かすていら」から「カステラ」へ整理された
日本に伝来した当初、この菓子は「かすていら」「かすてぃら」など、さまざまな仮名表記で呼ばれていました。江戸時代の文献や料理書にも表記の揺れが見られます。長い年月を経て発音が整理されていき、現在のように「カステラ」という表記と発音で統一されるようになりました。
漢字を当てて「加須底羅」のように表記される例も見られますが、これはあくまで当て字で、本来の意味を持つ漢字表記ではありません。外来語がそのままカタカナ語として定着した江戸時代由来の言葉のひとつという点でも、カステラは言語学的に興味深い存在です。ポルトガル語由来の日本語としては、カステラのほかにも「パン」「金平糖」「じょうろ」「合羽(カッパ)」「ボタン」など数多くの単語が知られており、カステラはその代表格の一つに数えられます。
五三焼は卵黄5対卵白3の贅沢な配合
長崎の老舗が手掛けるカステラの中には、「五三焼(ごさんやき)」と呼ばれる特別な製法のものがあります。五三焼とは、卵黄と卵白の比率を卵黄5対卵白3とする、卵黄を多く使う贅沢な配合のカステラです。通常のカステラよりも卵黄の割合が高いため、生地はより濃厚でコクのある味わいとなり、しっとりとした重厚な食感に仕上がります。
五三焼という名称の由来は江戸時代にさかのぼるとされます。当初この贅沢なカステラは「五味(ごみ)かすてら」と呼ばれていたという説があり、甘味、苦味、酸味、塩味、旨味という五つの基本的な味わいを凌駕するほど美味しい、という意味が込められていたと伝わります。材料自体は卵と砂糖、小麦粉、水飴というシンプルなものですが、卵黄を多く使う分だけ生地が非常にデリケートになり、温度や湿度のわずかな変化にも影響を受けやすくなります。そのため五三焼は長年の経験と勘を積んだ熟練の職人でなければ焼き上げることが難しいとされ、通常のカステラよりも高級品として扱われています。
ジェノワーズとの違いは油脂を使わない配合にある
カステラは広い意味ではスポンジケーキの一種に分類されますが、一般的なスポンジケーキやジェノワーズとは配合にも食感にも明確な違いがあります。フランス菓子の基本生地であるジェノワーズは、卵と砂糖、小麦粉に加えてバターなどの油脂を使うのが一般的で、配合比率はおおよそ卵1に対し砂糖1、小麦粉0.7、バター0.2程度とされます。
一方、長崎カステラの配合は卵1に対して砂糖1、小麦粉0.5、水飴0.2程度とされ、ジェノワーズに比べて小麦粉の割合が少なく、バターなどの油脂をいっさい使わない点が大きな特徴です。
| 生地 | 小麦粉の割合(卵1に対して) | 油脂 |
|---|---|---|
| ジェノワーズ | 約0.7 | バターを使用 |
| 長崎カステラ | 約0.5 | 使用しない(水飴0.2程度) |
カステラにおける小麦粉は、卵と砂糖、水飴が作り出す気泡構造をつなぎとめるための最小限の役割にとどめられており、主役はあくまで卵と糖分です。一般的なスポンジケーキがふんわりとした軽さを目指すのに対し、カステラは水飴や蜂蜜による保水性の高さを活かしたしっとりとした食感を追求しています。同じ卵と砂糖、小麦粉というシンプルな材料構成でありながら、配合比率のわずかな違いがまったく別の食感を生み出しているわけです。
カステラとボーロは鎖国下で枝分かれした兄弟菓子
南蛮菓子として日本に伝わった当初、カステラとボーロ(丸ぼうろ)は同じルーツを持つ、いわば兄弟のような菓子だったとする見方があります。1543年前後、ポルトガルの貿易船を通じてイベリア半島から伝わったスポンジ状の菓子は、当初は一つの系統だったものが、日本側での受け止め方の違いや製法の枝分かれによって、次第にカステラとボーロという異なる方向へ分かれていったとされます。
鎖国政策により、生クリームやバタークリームといった西洋菓子の装飾技術が長期間日本へ伝わらなかったことも、この分岐の一因のようです。装飾のための技術が入ってこなかった分、日本の職人たちは生地そのものの研究に力を注ぐこととなり、きめ細かな気泡構造と美しく平らな焼き上がりを追求する方向へ発展していきました。結果として、しっとりとした厚みのある生地菓子としてのカステラと、小さく焼き上げる素朴な焼き菓子としてのボーロという、まったく異なる個性を持つ二つの菓子が、鎖国という特殊な環境の中でそれぞれ独自の道を歩んでいったのです。
台湾カステラは2020年前後に日本で逆輸入ブームとなった
カステラの物語は日本国内にとどまりません。日本統治時代の台湾では、日本から持ち込まれたカステラが現地の人々の嗜好に合わせて改良され、台湾カステラと呼ばれる独自の菓子として発展しました。台湾北部の淡水(タンスイ)はその名物として知られる産地の一つです。
台湾カステラは長崎カステラに比べて生地がはるかに柔らかく、ふるふると揺れるほどの軽い口当たりが特徴で、見た目も背の高いボリューム感のある形状に仕上げられることが多いです。この台湾カステラは2020年前後に日本国内で爆発的なブームとなり、巨大な見た目とプリンのように揺れる独特の柔らかさがSNSで話題になりました。もともと日本から伝わった菓子が海を越えた先で独自の道を歩み、時を経て再び日本に逆輸入される形で人気を得たというのは、カステラの伝わり方を象徴するエピソードだといえます。
長崎の菓秀苑森長は17の国と地域への輸出を実現している
伝統的にカステラは水分を多く含みしっとりとした食感が持ち味であるため、長期保存や長距離輸送には不向きとされ、大手菓子メーカーであっても海外への本格的な輸出はこれまであまり進んでいませんでした。しかし近年では、この弱点を逆手にとる形で海外展開に乗り出す企業も現れています。長崎の菓秀苑森長は他社に先駆けてタイ国内でのカステラ生産に着手し、現地生産という形をとることで日本国内からの輸送コストや保存性の課題を克服し、すでに17の国と地域への輸出を実現しているといいます。長崎生まれの南蛮菓子が四百数十年の時を経て、再び国境を越えて世界へ広がりつつある姿は、カステラの持つ可能性の大きさを改めて示しているといえるでしょう。
出島の砂糖貿易が長崎カステラを育てた
鎖国政策のもとで、日本の対外交易の窓口は長崎の出島にほぼ限定されましたが、この特殊な状況こそが、皮肉にもカステラを長崎の地に根付かせる土壌となりました。鎖国後も出島を通じてオランダや中国との貿易は続いており、カステラに欠かせない大量の砂糖はこの貿易ルートを通じて輸入され続けていました。当時の日本国内では砂糖はまだ貴重品で、庶民が日常的に口にできるものではありませんでしたが、貿易都市であった長崎には他の地域よりも砂糖が入手しやすい環境が整っていました。砂糖を潤沢に使えるという長崎ならではの地理的・経済的条件があったからこそ、カステラは他の土地に先駆けて長崎で独自の発展を遂げ、やがて長崎カステラとしての名声を確立していったのです。
坂本龍馬の海援隊にもカステラのレシピが残っていた
カステラにまつわる歴史的なエピソードとして、幕末の志士・坂本龍馬との関わりもしばしば語られます。京都国立博物館に所蔵されている、龍馬が率いた海援隊関連の記録の中には「カステイラ仕様」と題されたカステラのレシピが書き留められており、卵と小麦粉、砂糖といった材料が記されているといいます。この記録から、龍馬たち海援隊の面々が実際にカステラを自分たちの手で作り、味わっていた可能性がうかがえます。
さらに、龍馬とお龍(りょう)夫妻にまつわる逸話として、日本初の新婚旅行と言われる薩摩への旅の思い出の菓子としてカステラが語られることもあります。長崎という開港都市を拠点に活動していた龍馬にとって、カステラは身近な存在だったようで、志士たちの活動と当時最先端の南蛮菓子とが意外な形で交差していたことをうかがわせるエピソードです。
カステラ一切れは150~250キロカロリーで補食に向く
甘い菓子というと高カロリー、高脂質というイメージを持たれがちですが、カステラは他の洋菓子と比べるといくつか際立った特徴を持っています。カステラの材料は基本的に卵と砂糖、小麦粉、水飴のみで、生クリームやバター、牛乳といった乳製品や油脂をふんだんに使うケーキ類とは異なり、油脂そのものをほとんど使っていません。含まれる脂質は主に卵由来のものであるため、他の洋菓子に比べると脂質の量は控えめだとされます。
栄養面では、主原料である卵に由来する良質なたんぱく質が豊富に含まれており、あわせてビタミンA、D、E、ビタミンB群といった栄養素も摂取できます。カステラ一切れ(約50~60グラム)あたりのエネルギーはおよそ150~250キロカロリー程度とされ、糖質を中心とした即効性のあるエネルギー源になる点も特徴の一つです。油脂が少なく消化の負担が比較的軽いことに加え、少量でしっかりとエネルギーを補給できることから、近年ではスポーツ選手が試合前後の補食としてカステラを活用する例も見られ、実際にスポーツ向けをうたった専用商品を展開する老舗メーカーも登場しています。もっとも、糖質やカロリーが凝縮された菓子であることに変わりはないため、おやつとして楽しむ際には一切れ程度を目安にするのがよさそうです。
カステラは南蛮渡来でありながら和菓子に分類される
南蛮渡来の菓子でありながら、カステラは一般に和菓子の一種として分類されることが多くなっています。これは、原型となったポルトガルのパン・デ・ローから長い年月をかけて日本国内で独自の改良が重ねられ、水飴やざらめ糖の使用、卵黄と卵白の配合比率の工夫など、日本の職人の技術と嗜好によって形作られた部分が非常に大きいためです。見た目や材料構成こそ西洋のスポンジケーキに近いものの、その味わいと製法の実態は、日本で生まれ育った菓子と呼ぶにふさわしいものになっています。
カステラという名前をたどっていくと、中世スペインの城塞都市群、レコンキスタの歴史、ポルトガル王室とスペイン王室の婚姻関係、大航海時代の南蛮貿易、そして江戸から続く長崎の菓子職人たちの工夫という、幅広い歴史の層が積み重なっていることがわかります。カスティーリャという地名が一つの菓子の名前として定着し、海を越えて日本に伝わり、水飴とざらめ糖という日本独自の工夫を経て、新しい菓子として生まれ変わりました。それが今日親しまれているカステラです。
その歩みは明治以降の老舗ブランドの確立、台湾への伝播と逆輸入的なブームの発生、そして現代における海外への輸出という挑戦にまで及んでいます。何気なく口にしている一切れのカステラの背後には、ヨーロッパの中世史から江戸時代の南蛮貿易、幕末の志士たちの逸話、そして現代の菓子トレンドまでをつなぐ物語が隠れています。
海外から伝わった菓子の名前が日本語として定着した例には、プリンもあります。英語のpuddingが「プリン」になるまでの経緯は、プリンは何語?語源は英語のpudding、ラテン語botellusから日本の「プリン」までで解説しています。
スペイン語が語源とされる外来語は他にもあり、ケチャップの語源に中国語説とスペイン語説の二つがあることも面白い比較になる。








