ケチャップの語源は、いまだに一つに定まっていません。有力なのは、中国南部の魚醤を指す言葉が東南アジアを経てイギリスに伝わったとする説と、スペイン語で酢漬けソースを意味する言葉に由来するとする説の二つです。真っ赤なトマトケチャップからは想像しにくいですが、語源をたどると魚醤や酢漬け料理という、まったく別の食文化に行き着きます。この記事では、二つの語源説の中身と、イギリスの多様なケチャップからアメリカでトマトケチャップが生まれるまでの流れ、そして日本での定着の経緯までを順に見ていきます。

ケチャップの語源は中国語の魚醤説とスペイン語の酢漬け説で割れている
ケチャップという単語の語源には、系統がまったく異なる二つの有力な説があります。一つは中国南部の方言に由来し魚醤を指す言葉が東南アジアを経由してイギリスに渡ったとする説、もう一つはスペイン語やフランス語の酢漬けソースを意味する単語から派生したとする説です。日本語版ウィキペディアをはじめとする複数の辞典類は、この両方を紹介しており、どちらか一方だけが正しいと断定できる決定的な証拠はまだ見つかっていません。ただし、辞典や語源事典でより広く採用されているのは中国語の魚醤説のほうで、いわば定説に近い扱いを受けています。以下、それぞれの説を具体的に見ていきます。
なお、イギリス商人がマレー半島や中国南部の沿岸地域に出入りするようになった背景には、大航海時代以降の香辛料貿易があります。イギリスは1600年に東インド会社を設立し、当初は胡椒などの香辛料交易を目的にインド洋や東南アジアへ進出しました。それまで香辛料貿易を独占していたポルトガルにオランダとイギリスが割って入り、競い合いながらアジアの交易網を広げていった時代です。ケチャップの語源となった言葉がイギリスに運ばれたとされる17世紀は、この香辛料貿易の拡大期と重なっています。
中国南部の魚醤「鮭汁」が東南アジアを経て英語になった説
中国語の魚醤説では、福建省南部や広東省東部で話される閩南語や台湾語に由来する言葉が起点とされています。これらの言語では、小魚やエビを塩漬けにして発酵させたときに分離する液体、つまり魚醤に近い調味料を「膎汁」または「鮭汁」と書き、kê-chiapやkôe-chiapのように発音していました。この言葉が貿易を通じてマレー半島に伝わり、マレー語のkicap、インドネシア語のkecapという単語になったとされています。ここで面白いのは、現在のマレー語やインドネシア語のkicap・kecapはもう魚醤ではなく、大豆を主原料とする日本の醤油に近い調味料を指している点です。言葉だけが残り、中身は魚介から大豆へと変わったことになります。この言葉が17世紀ごろ、東南アジアで交易していたイギリス商人によって本国に持ち帰られ、ketchupという英単語として定着したというのが、この説の骨子です。魚醤自体は東南アジアだけの調味料ではありません。タイのナンプラーやベトナムのニョクマムのように、生魚を塩漬けにして長期間発酵させ、そこから染み出す液体を調味料として使う文化は世界各地にあります。日本にも、石川県のいしる、秋田県のしょっつる、香川県小豆島のいかなご醤油という日本三大魚醤があり、使う魚や発酵期間、塩分濃度は産地ごとに違うものの、生魚と塩を層状に重ねて長期間熟成させるという基本の作り方は共通しています。閩南語の鮭汁も、こうした東アジア・東南アジアに広く分布する魚醤文化の一つだったと考えると、ケチャップの語源が魚醤に行き着くという話にも自然な位置づけが見えてきます。
スペイン語のエスカベーチェとアラビア語のカビースに由来する説
もう一つの説を唱えたのは、アメリカの人類学者E.N.アンダーソンです。アンダーソンは、ケチャップという単語がフランス語のescavèche(ソースのかかった食べ物という意味)と同語源だと主張しました。escavècheと同系統の単語は、スペイン語やポルトガル語にもescabeche(酢漬け用のソース)という形で存在しています。escabecheは現在も、揚げた魚を酢や油、香辛料のマリネ液に漬け込む料理、あるいはその漬け込みソースを指す言葉として、スペイン語圏やポルトガル語圏で使われています。食物史研究家のカレン・ヘスは、このescabecheをさらにさかのぼり、酢漬けを意味するアラビア語のkabeesに行き着くと指摘しました。アラビア語のさらに先には、イスラム勢力によるイベリア半島征服の時代に伝わったとされるペルシア語由来の肉料理al-sikbajがあるという説明もあります。ペルシア語の料理名がアラビア語を経てイベリア半島に伝わり、スペイン語やポルトガル語でescabecheとなり、フランス語圏でescavècheに転じ、これが英語のketchupの語源になった、という道筋です。中国語説が東南アジア経由のアジアルートだとすれば、こちらは地中海世界からイベリア半島、フランスを経由するヨーロッパ内部のルートだといえます。escabecheという料理は、日本にも別の経路で伝わっています。室町時代から江戸時代にかけて、スペインやポルトガルは南蛮と呼ばれ、南蛮貿易を通じて九州地方にescabècheという揚げた小魚を酢漬けにした料理が伝わりました。これが日本人の味覚に合わせて甘酢や野菜を使ったアレンジを加えられ、いまの南蛮漬けになったとされています。1543年にポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝えたのを皮切りに、南蛮文化が日本各地に流入した時期と重なる出来事です。南蛮漬けは製法や風味が地中海のescabècheと似ていることから、英語圏ではJapanese escabècheと訳されることもあります。ケチャップの語源候補であるescabecheと、日本の南蛮漬けの語源が同じ単語だという事実は、酢漬け料理の系統がケチャップとは別ルートで日本にも根付いていたことを示しています。
二つの語源説が両立してきたのは17世紀イギリスの「ケチャップ」が広い意味の言葉だったため
系統の異なる二つの説が今も並び立っている理由は、17世紀から18世紀のイギリスで「ケチャップ」という言葉が、特定の食品を指す固有名詞ではなく、塩や酢、香辛料を加えて加熱・発酵させ、保存性を高めたとろみのある調味ソース全般を指す、幅の広い言葉として使われていたことに関係しています。そのため、東南アジアの魚醤に由来する系統の調味料と、ヨーロッパで独自に発展してきた酢漬けソースの系統の調味料が、イギリスで同じ「ケチャップ」という言葉のもとに合流し、混ざり合った可能性があります。言葉の起源を一本に絞り込みにくいのは、当時のケチャップという言葉自体が、複数の食文化の影響を受けて形成された混成語のような性格を持っていたためかもしれません。
イギリスでは17世紀からキノコやクルミを使ったケチャップが主流だった
語源はさておき、実際の歴史資料からは、17世紀から19世紀にかけてイギリスでケチャップと呼ばれる調味料が、非常に多様な形で作られていたことがわかります。現存する最古級のレシピの一つが、1693年から1694年にジェーン・ステーブレーが記した『Receipt book of Jane Staveley』です。ここにはエシャロットとアンチョビ、各種スパイスを組み合わせたホワイトケチャップのレシピが記されています。18世紀後半には、料理研究家ハンナ・グラスの『The Art of Cookery Made Plain and Easy』が広く読まれるようになりました。1762年版には、2種類のアンチョビケチャップ、4種類のマッシュルームケチャップ、1種類のクルミケチャップという、実に幅広いレシピが並んでいます。これらに共通するのは、塩や酒、酢に加えてこしょうやクローブ、ナツメグ、ジンジャーといった香辛料で風味付けをし、加熱や発酵によって保存性を高め、瓶詰めにする製法です。冷蔵技術のなかった時代、こうした濃厚な調味ソースは重宝されました。イギリスで手に入りやすいキノコやクルミ、カキ、アンチョビが使われた背景には、東洋から貿易でもたらされた魚醤に似た調味料の存在があったとみられます。実際、イギリスの最初期のケチャップはカキやアンチョビ、ロブスターといった魚介類を使ったものが中心で、東南アジアの魚醤文化の影響が色濃く残っていました。現代の赤いトマトケチャップとは似ても似つかない、魚介やキノコを主原料とした濃い色の発酵調味ソースこそが、イギリスにおける元祖ケチャップだったわけです。
トマトケチャップは18世紀アメリカで生まれ1876年にハインツが商品化した
いま主流のトマトケチャップが生まれたのは、18世紀のアメリカです。もっとも、トマトが食用として広く受け入れられるまでには時間がかかりました。そもそもトマトの原産地は南米のアンデス山脈周辺で、紀元前の時代にメキシコへ伝わりアステカの人々が栽培を始めたとされています。ヨーロッパにはコロンブスの南米大陸到達を経てもたらされ、1540年代にはイタリア貴族の庭園でトマトの種が発芽したという記録も残っています。当時のヨーロッパではトマトは観賞用の植物として扱われ、南ヨーロッパを中心に食用として広く受け入れられるようになったのは18世紀後半になってからのことでした。ヨーロッパに持ち込まれた当初、トマトはその赤い見た目からpoison apple(毒リンゴ)と呼ばれ、有毒な植物だと信じられていた時期が長く続いています。有毒説が広まった理由の一つは、当時の富裕層が使っていた鉛を含む食器にあります。酸性度の高いトマトを盛り付けると食器から鉛が溶け出し、その鉛中毒がトマトのせいだと誤解されました。もう一つは、トマトの見た目がヨーロッパに自生する有毒植物ベラドンナに似ていたための混同です。こうした事情から、アメリカでトマトが一般的な食用野菜として広く食べられるようになったのは19世紀半ばのことでした。18世紀のアメリカでは、それでも観賞用や一部の家庭でトマトの栽培と利用が進み、小さく刻んだトマトを煮詰めて塩や香辛料を加えた赤い調味料が作られるようになります。イギリスのキノコケチャップやアンチョビケチャップで培われた、加熱・発酵させて塩や酢、香辛料で味付けし瓶詰めで保存するという製法の考え方が、トマトという新しい主原料と結びついたのです。このトマトケチャップを全米に広めたのが、後の食品大手ハインツ社です。創業者のヘンリー・J・ハインツは1869年に食品会社を設立しました。ハインツは15歳のときにホースラディッシュの瓶詰めを製造販売していましたが、当時の業界では中身の見えない濃い緑色の瓶を使い、防腐剤や着色料でごまかす商品も少なくありませんでした。これに対しハインツは、あえて透明な瓶を採用し、消費者が中身を直接確認できるようにすることで、自社製品にごまかしがないことを示しました。この品質への姿勢が評価され、後のトマトケチャップの成功にもつながるハインツ社のブランドの土台になっています。ハインツ社は1876年、瓶詰めのトマトケチャップの販売を開始しました。完熟トマトを厳選し、酢の配合を工夫することで、防腐剤に頼らず安定した品質を保つ製法が採用されたと伝わっています。この商品は瞬く間に広まり、1905年には株式会社化を果たし、年間500万本ものケチャップをアメリカ国内で販売するまでになりました。魚介やキノコを原料とする多様なケチャップの中から、トマトを主原料とするタイプが勝ち残り、世界標準の「ケチャップ」として定着していったのです。現在に至るまで、ハインツのトマトケチャップは着色料や保存料を使わない方針を貫いているとされ、透明な瓶に真っ赤なケチャップを詰めるスタイルは創業当初からの姿勢を今に伝えています。
日本のケチャップは1908年にカゴメが発売し1966年のチューブ入りで家庭に定着した
トマトケチャップが日本に伝わったのは明治時代です。西洋文化の流入とともに、トマトという野菜自体や、それを加工した調味料としてのケチャップが少しずつ紹介されていきました。日本での国産化に道をつけたのは、後にトマト加工品大手となるカゴメです。創業者の蟹江一太郎は、1899年ごろからトマトの栽培に取り組み、1904年にはトマトソースの製造にこぎつけました。そして1908年、日本初となるトマトケチャップの販売を始めています。アメリカ生まれの味をそのまま持ち込んでも日本人には馴染みにくく、かといって和風の味付けにしてしまえばトマトケチャップでなくなってしまうというジレンマの中、原材料の配合を試行錯誤し、日本人の舌に合う独自の風味を作り上げていったと伝えられています。当初は洋食文化とともに一部の富裕層や都市部を中心に受け入れられていたトマトケチャップですが、オムライスやナポリタン、ハンバーグの付け合わせといった洋食文化の広がりとともに、家庭料理や外食産業に欠かせない調味料になっていきました。転機の一つが1966年で、この年、世界に先駆けて日本独自のチューブ入りトマトケチャップが登場しています。使いやすいチューブ容器の普及も後押しとなり、チキンライスやオムライス、ナポリタンといった家庭料理が一気に広まりました。現在、カゴメ一社だけで国内シェアの60パーセント以上を占めるとされ、明治期からの長い受容と国産化、そして味と容器の工夫の積み重ねが、いまの食卓の当たり前を作っています。
アメリカとイギリスでは「ケチャップ」が指すものが違う
同じ英語圏でも、ケチャップという言葉が指す範囲は国によって違います。アメリカ英語ではketchupがトマトケチャップを指す一般的な呼び名として定着していますが、イギリスやオーストラリアなどアメリカ以外の英語圏では、酢を加えない、あるいは酸味の少ないタイプのトマトソースをtomato sauceと呼び分ける地域も多く、レッドグレイビーやレッドソースという呼び名が使われることもあります。語源の旅路の出発点とされる東南アジアでは、興味深い動きが見られます。現在のマレーシアではトマトケチャップをsos tomat、インドネシアではsaus tomatと呼びますが、これはいずれも英語のtomato sauceに由来する借用語です。kicapやkecapという言葉自体はケチャップの語源になったとされる一方で、いまの東南アジアでトマトケチャップを指す際には英語由来の新しい借用語が使われているわけです。ヨーロッパに伝わる過程では綴りにも複数のバリエーションが生まれ、kechap、catchup、catsup、cetchupなど、時代や地域によって様々な表記が使われてきました。アメリカでは現在もcatsupという綴りが一部の商品名に残っており、表記の揺れそのものが単語の伝播の複雑さを物語っています。
| 地域 | 呼び方 | 特徴 |
|---|---|---|
| アメリカ | ketchup | 酸味のある赤いトマトソース全般を指す |
| イギリス | tomato sauce | 酢を加えないタイプも含む呼び名 |
| マレーシア | sos tomat | 英語tomato sauceからの借用語 |
| インドネシア | saus tomat | 英語tomato sauceからの借用語 |
ケチャップの語源についてよくある疑問
中国語説とスペイン語説、どちらが正しいのか気になるところですが、現時点では白黒つけられる段階ではありません。ただ、辞典類での採用例の多さを見る限り、中国語の魚醤説のほうが優勢だといえるでしょう。二つの説の骨格を並べると、次のようになります。
| 観点 | 中国語魚醤説 | スペイン語酢漬け説 |
|---|---|---|
| 起点となる言葉 | 閩南語の鮭汁(kê-chiap) | スペイン語のescabeche |
| 経由地 | マレー半島(マレー語kicap、インドネシア語kecap) | イベリア半島、フランス(escavèche) |
| さらなる語源 | 明確な遡及先はなし | アラビア語kabees、ペルシア語al-sikbaj |
| 主な提唱者・出典 | 多くの語源辞典、ウィキペディア | 人類学者E.N.アンダーソン、食物史研究家カレン・ヘス |
なぜ魚醤に由来する言葉が真っ赤なトマトソースの名前になったのか、疑問に思う方もいるかもしれません。答えは単純で、ケチャップという言葉はもともと特定の材料を指す名前ではなく、塩や酢で保存性を高めた調味ソース全般を指す言葉だったからです。イギリスでキノコやクルミ、アンチョビのケチャップが作られていた延長線上に、アメリカでトマトを使ったケチャップが加わり、そちらが世界的な主流になった、という順番になります。名前は残り、中身だけが移り変わっていった調味料、それがケチャップだといえます。








