フレーバー付きポテトチップスの世界初の発祥地には、諸説があります。もっとも有力とされているのは、1954年にチーズ・アンド・オニオン味を生み出したアイルランドのTayto(テイト)社です。イギリスのSmith’s(スミス)社やGolden Wonder(ゴールデン・ワンダー)社、日本の湖池屋にも、それぞれ異なる切り口での元祖と呼べる根拠があります。今やコンビニやスーパーの菓子売り場には、うすしお、コンソメパンチ、のり塩、チーズなど数え切れないほどのフレーバーが並んでいますが、この多様化の出発点をたどると、一つの国や一つの企業には絞り込めない歴史が見えてきます。ここではTayto社を軸に、対抗する説がなぜ並び立つのか、その背景を順に見ていきます。

ポテトチップス自体の起源も1817年説と1853年説に分かれている
フレーバー付きという枝葉の話に入る前に、ポテトチップスそのものの誕生をめぐる背景を押さえておく必要があります。ここにもすでに複数の説が存在しているからです。
もっとも広く知られているのは、1853年にアメリカ・ニューヨーク州サラトガ・スプリングスのリゾートホテルで、シェフのジョージ・クラムが「フライドポテトが厚すぎる」という客からのクレームに腹を立て、あてつけのようにジャガイモを極端に薄くスライスして揚げたところ、それが評判になったという逸話です。アメリカの食文化系メディアや辞典類で繰り返し紹介されており、定番の起源説として扱われています。
一方で、これより古い記録も残っています。1817年、イギリスの料理研究家であり光学者でもあったウィリアム・キッチナーが著書『料理人の託宣』の中で、ジャガイモを薄切りにして油で揚げる調理法を紹介しました。これが現存する最古の文献記録とされていますが、このレシピがどこまで社会に普及し、後年の商業的なポテトチップス文化に直接つながったのかは明確になっていません。あくまで原型のひとつという位置づけにとどまります。
つまりポテトチップスというお菓子自体が、クレーム対応から生まれた説(1853年・アメリカ)と、料理書に記された調理法が起源だとする説(1817年・イギリス)という、大西洋を挟んだ二つの説を抱えているわけです。フレーバーを付けるという発想の起源になると、この諸説はさらに込み入っていきます。
なお、ポテトチップス誕生にまつわる「シェフの嫌がらせ」説の詳細な逸話や、その後の工業化・日本上陸の歴史については、「ポテトチップスの発明はシェフの嫌がらせ?誕生の逸話と歴史を解説」で詳しく解説しています。
世界初の本命はアイルランドのTayto社、1954年のチーズ・アンド・オニオン
現在、海外の食文化メディアや企業の公式情報において最も広く世界初のフレーバー付きポテトチップスを開発したと紹介されているのは、アイルランドのダブリンに拠点を置くTayto社です。
Tayto社の創業は1954年で、地元の実業家ジョー・スパッド・マーフィーが、当時はまだ塩味しかなかったポテトチップス市場に目を付けました。従業員のシェイマス・バークとともに、製造工程の中でチップスに直接味を付ける技術を開発し、台所のテーブルで様々な調味料を配合しながら試行錯誤を重ねたと伝えられています。こうして誕生したのがチーズ・アンド・オニオン味で、これが世界で初めて量産・商業化されたフレーバー付きポテトチップスとされています。
それまでのポテトチップスは、揚げた後に塩を振りかける程度の味付けしかありませんでした。チーズやオニオンといった複合的な風味を粉末調味料として製造工程に組み込むという発想自体が、当時としては画期的だったわけです。この技術革新が、その後世界各国で多様なフレーバーのポテトチップスが生まれる土台になったと評価されています。
Tayto社は2024年に創業70周年を迎え、アイルランド国内では「Tay70」と名付けられた記念ロードショーを展開しました。ゴールウェイのショッピングセンターやブレイ・ビーチでのイベント、ローズ・オブ・トラリー・フェスティバルへの出展など、6月から夏にかけて各地を巡回する形で祝われています。あわせて70周年記念パッケージのチーズ・アンド・オニオン味も限定発売され、アイルランドの郵便公社An Postとのコラボレーションで記念消印付きの封筒も作られました。同年にはTaytoの歴史をまとめた書籍『The Story of Tayto』(著者ボビー・アハーン、出版社The Lilliput Press)も刊行されています。こうした周年事業の規模の大きさからも、アイルランド国内および多くの英語圏メディアでTaytoがフレーバー付きポテトチップスの生みの親として広く認知されていることがうかがえます。
イギリスのSmith’s社が1920年に始めたのは塩の小袋であって味付けではない
ただし、Taytoの1954年説がすべてを説明するわけではありません。イギリスでは、それより30年以上前の1920年に、フランク・スミスとジム・ヴィニーが設立したSmith’s Potato Crisps社が、プレーンなポテトチップスの袋の中に塩を包んだ小さな青い紙袋を同梱するという販売方法を始めていました。
食べる人が自分の好みで塩の量を調整できるという、当時としては新しい発想で、この仕組みによってSmith’s社は急成長しました。1920年の時点ですでに従業員12人を抱え、週に50万袋ものポテトチップスを製造するまでになったといいます。1934年にはイギリスで販売されるポテトチップスの実に95パーセントをSmith’s社が占めるほどの市場支配力を持つに至りました。
この塩を別添えにする方式は、味付けの元祖として紹介されることがあります。ただし、これは製造段階でチップス自体に調味料を練り込んだり吹き付けたりする、現代的な意味でのフレーバー付きとは性質が異なります。あくまでプレーンなチップスに食べる側が自分で塩を足す仕組みであり、風味そのものを工場側があらかじめデザインしたわけではありません。海外の複数の資料でも、Smith’s社は塩を添付するアイデアの先駆者ではあったものの、チーズやオニオンといった具体的なフレーバーを最初に生み出したのはTayto社であると明確に区別して説明されています。Smith’s社の功績は調味の利便性における革新であって、フレーバーの創造そのものにおける革新ではない、と整理できるでしょう。
イギリス本土初はGolden Wonder社、1962年のチーズ・アンド・オニオン
もう一つ押さえておくべきなのが、イギリスのGolden Wonder社の存在です。同社は1962年にチーズ・アンド・オニオン味のポテトチップスを発売し、これがイギリス本土(グレートブリテン島)で初めて発売されたフレーバー付きポテトチップスとされています。さらに同じ1962年、Tayto社の発売から4年遅れる形で、ソルト・アンド・ビネガー味のチップスもイギリス本土に投入しました。
ここで注目したいのは、チーズ・アンド・オニオンというフレーバー自体は、すでに1954年にTayto社が生み出していたという点です。Golden Wonder社はそれを追いかける形で1962年に同系統の商品をイギリス本土市場に投入し、結果としてイギリス本土初のフレーバー付きポテトチップスというポジションを獲得しました。世界初はTayto、イギリス本土初はGolden Wonderという、地理的な範囲の違いによって初の称号が分かれているわけです。こうした事情を知らずに情報を参照すると、イギリスで最初にフレーバー付きポテトチップスを作ったのはGolden Wonderだという誤認が生じやすく、これも諸説が生まれる一因になっていると考えられます。
なお、Tayto社とGolden Wonder社は現在では同じTayto Group傘下のブランドになっており、2006年にGolden WonderがTayto Groupの一員となりました。かつて競合関係にあった二社が、今は同じ企業グループのブランドとして共存している点も、この歴史のちょっとした面白さかもしれません。
四社の主張を並べると初の基準がそれぞれ違うとわかる
ここまで登場した企業を、年代・国・技術の切り口で並べると、それぞれが異なる「初」を主張していることがはっきりします。
| 企業 | 国・地域 | 年 | 内容 | 主張できる「初」 |
|---|---|---|---|---|
| Smith’s社 | イギリス | 1920年 | 塩の小袋を同梱 | 調味の利便性における先駆け |
| Tayto社 | アイルランド | 1954年 | チーズ・アンド・オニオンを製造工程で味付け | 世界初のフレーバー付きポテトチップス |
| Golden Wonder社 | イギリス本土 | 1962年 | チーズ・アンド・オニオン、ソルト・アンド・ビネガー | イギリス本土初のフレーバー付きポテトチップス |
| 湖池屋 | 日本 | 1962年 | のり塩 | 日本初、かつ和風フレーバーの先駆け |
表にすると一目瞭然ですが、四社はどれも嘘をついているわけではありません。それぞれが自社にとって正確な「初」を語っているだけで、比較の軸を揃えずに紹介されると、読み手の側で情報が食い違って見えてしまうのです。
諸説が並び立つのはフレーバー付きの定義が三層に割れているため
ここまで見てきたように、フレーバー付きポテトチップスの世界初をめぐる諸説は、単なる情報の誤りや伝聞の混乱だけが原因ではありません。フレーバー付きという言葉自体の幅広さが、複数の初を同時に成立させてしまう構造的な理由になっています。
第一に、調味料を別添えにする方式と、製造工程でチップス自体に味を付け込む方式の違いです。前者の代表がSmith’s社の塩の小袋(1920年)であり、後者の代表がTayto社のチーズ・アンド・オニオン(1954年)になります。現代人がフレーバー付きポテトチップスと聞いてイメージするのは後者、つまり袋を開けた瞬間からすでに味が付いている状態のチップスでしょう。この基準で見れば、Tayto社が世界初という評価は妥当性を持ちます。
第二に、地理的範囲の違いです。世界初なのか、イギリス本土初なのか、あるいは日本初なのかによって、該当する企業や年代がまったく異なってきます。アイルランドとイギリス本土は地理的には近接していますが、当時は別々の市場として扱われていたため、Taytoの技術がイギリス本土に伝播するまでにはタイムラグが生じ、その間隙を突く形でGolden Wonder社が独自にチーズ・アンド・オニオン味を展開しました。
第三に、クリスプス(crisps)文化圏であるイギリス・アイルランドと、ポテトチップス(potato chips)文化圏であるアメリカとでは、情報が伝わる経路やメディアの取り上げ方が異なります。英語圏の食文化メディアの多くはアイルランド・イギリスの文脈でTaytoやSmith’sを取り上げる一方、アメリカの資料では前述のジョージ・クラムの逸話(ただしこれは味付きではなくポテトチップスそのものの起源説)が中心となりがちで、フレーバー付きという観点そのものがあまり掘り下げられない傾向も見られます。
日本の元祖は湖池屋ののり塩、発売は1962年
海外の事情だけでなく、日本国内における味付きポテトチップスの歴史にも触れておきます。日本で初めて味付きポテトチップスを開発・発売したのは、湖池屋(当時の社名も湖池屋、創業者は小池和夫氏)とされています。
創業者は、あるバーで手作りのポテトチップスを口にしたことがきっかけとなり、原料や製法、味付けについて独自に研究を重ねたと伝えられています。当時、世界的にはポテトチップスといえばシンプルな塩味が主流でしたが、湖池屋はそこにあえて日本人の味覚に合わせたのり塩という和風のフレーバーを開発する道を選びました。そして1962年、湖池屋ポテトチップス のり塩として発売しています。これは単に日本初の味付きポテトチップスであるだけでなく、のり塩という味付け自体が世界的に見ても珍しい独自のフレーバーだったことから、世界初ののり塩味ポテトチップスという文脈で紹介されることもあります。
Tayto社のチーズ・アンド・オニオン発売が1954年であるのに対し、湖池屋ののり塩発売は1962年であるため、フレーバー付きポテトチップスという大きなカテゴリー全体においては、日本の湖池屋がTayto社に先行しているわけではありません。あくまで和風フレーバー、のり塩というジャンルに限定した場合の先駆けという位置づけになる点は、区別しておく必要があるでしょう。
その後、湖池屋は1967年に日本で初めてポテトチップスの量産体制を確立し、味付きポテトチップスが国内で広く普及していく土台を作りました。今日ではうすしおやコンソメパンチなど各社から様々なフレーバーが発売されていますが、その源流をたどると1962年ののり塩の登場に行き着くというのが、日本国内における定説になっています。
カルビーのうすしお・コンソメパンチが1975年以降に日本市場を広げた
湖池屋に続いて日本の味付きポテトチップス市場に本格参入したのがカルビーです。カルビーは1975年に、現在のうすしお味の原型となるカルビーポテトチップスを発売し、ポテトチップス市場へ参入しました。さらに1978年11月には、うすしお味、のりしお味に次ぐ同社3番目のフレーバーとしてポテトチップス コンソメパンチを発売しています。
コンソメパンチという商品名は、当時の流行語「パンチがきいている」にちなんで、強く印象に残る商品にしたいという思いから名付けられたものです。1980年から1992年までは一時、ポテトチップス コンソメという名称に変更されていた時期もありましたが、1992年3月にコンソメパンチの名称に戻され、現在まで長く愛されるロングセラー商品になっています。こうした経緯からもわかるように、日本国内における味付きポテトチップスの歴史は、湖池屋ののり塩を起点に、カルビーのうすしお・コンソメパンチが加わることでフレーバーのバリエーションが豊かになっていったという流れをたどっています。
世界のポテトチップス市場は2025年に361億ドル規模まで拡大した
こうした発祥をめぐる歴史を踏まえたうえで、現在のフレーバー付きポテトチップス市場がどれほどの規模まで拡大しているかにも触れておきます。市場調査会社IMARC Groupの分析によると、世界のポテトチップス市場規模は2025年に361億米ドルに達しました。2026年から2034年にかけては年平均成長率2.41パーセントで拡大し、2034年には451億米ドル規模に達すると予測されています。
この成長を支える要因として、手軽に食べられるスナック食品への需要増加に加え、継続的なフレーバーの革新と製品バリエーションの拡大が挙げられています。Tayto社が1954年に切り開いた、味を工程に練り込むという発想が、70年以上を経た今も市場拡大の中心的な原動力であり続けていると言えるかもしれません。
アジアでは海藻フレーバーが人気で、のり塩の先見性と重なる
さらに直近のフレーバートレンドを見ると、2025年には新発売商品のうち28パーセントがスパイシー系のバリエーションで占められました。またアジアの都市部のスナックカテゴリーでは、海藻(のり)風味のチップスが11パーセントのシェアを占めて人気を集めています。日本の湖池屋が1962年にいち早くのり塩という和風フレーバーを開発した先見性は、現在のアジア市場における海藻系フレーバーの人気と重なって見えるのではないでしょうか。
加えて、フレーバー付きポテトチップスはスーパーマーケット、コンビニエンスストア、デジタル小売プラットフォームを合わせたカテゴリー需要の46パーセントを生み出しているとされています。もはやプレーン(塩のみ)のポテトチップスよりも、味付きのバリエーションのほうが市場の主役になっていることが、このデータからも裏付けられます。
Tayto社とGolden Wonder社が今は同じ企業グループに属している理由
かつて世界初とイギリス本土初を分け合った両社が、なぜ今は同じ看板の下にいるのか、疑問を持つ読者もいるかもしれません。答えは単純で、2006年にGolden WonderがTayto Groupに買収され、傘下ブランドの一つになったためです。競合関係だった時代の歴史はそれぞれ独立した事実として残る一方、経営としては統合が進んだという、よくある業界再編の一例と言えます。ライバル同士が同じ企業グループに収まるという展開は、フレーバー付きポテトチップスの歴史を語るうえで意外と見落とされがちなポイントです。
一袋の裏側に複数の元祖物語が重なっている
フレーバー付きポテトチップスの世界初の発祥地は、単純に一つの国、一つの企業に絞り込めるものではありません。複数の観点によって異なる初が並び立っているというのが実情です。製造工程でチップス自体に味を練り込むという、現代的な意味でのフレーバー付きポテトチップスの技術革新という観点では、1954年にアイルランドのTayto社がチーズ・アンド・オニオン味を開発したことが世界初とする説が、もっとも有力です。
一方で、それに先立つ1920年のイギリス・Smith’s社による塩の小袋方式や、1962年にイギリス本土でチーズ・アンド・オニオンやソルト・アンド・ビネガーを広めたGolden Wonder社の存在も、それぞれ異なる文脈における元祖として語られています。そして日本国内に目を向ければ、1962年に湖池屋が発売したのり塩が、和風フレーバーの先駆けとして独自の地位を築いています。
菓子売り場でお気に入りのフレーバーのポテトチップスを手に取ったときには、その一袋の裏側に、アイルランド、イギリス、日本にまたがる、それぞれの世界初を主張する複数の物語が重なっていることを思い出してみると、いつもの一袋が少し違って見えるかもしれません。
発祥や「初めて」にまつわる話には後年の思い込みが混じることがあり、オートフライヤーを導入したのが実はカルビーではなく湖池屋だったという逸話も同様の例と言える。








