乾杯でグラスを合わせる理由は、中世ヨーロッパで毒の混入を防ぐために生まれた習慣が起源のひとつとされています。宴会や結婚式の披露宴で当たり前のように行われるこの所作には、諸説あるものの、信頼や祝福を示すための背景が積み重なってきました。グラスがぶつかる音ひとつにも、歴史の重みが宿っています。
普段は意識せずに繰り返している乾杯ですが、由来をたどっていくと、中世ヨーロッパの物騒な事情や宗教的な儀式、さらには日本独自の歴史的な出来事まで、実にさまざまな背景が見えてきます。この記事では、グラスを合わせる理由と由来をいくつかの説から整理しつつ、現代のマナーや世界各国の乾杯文化にも触れていきます。
グラスが触れ合う音や、飲み干すまでの一連の流れは、私たちが思う以上に長い歴史の積み重ねの上に成り立っているようです。由来を知ってから乾杯をすると、いつもの一杯が少し違って感じられるかもしれません。

乾杯は杯を飲み干す儀礼を指す言葉
乾杯とは、宴席で主導者の合図に合わせて参加者が共にお酒を飲む儀礼のことです。会食や飲み会、パーティーの始まりに行われることが多く、飲み物が全員に行き渡ったあと、代表者の音頭とともにグラスを掲げ、「乾杯」と声を合わせてから飲み始めるのが一般的な流れとなっています。
漢字の成り立ちにも意味が込められています。「乾」は乾く・乾燥するという意味を持ち、「杯」はさかずきやグラスを意味します。二つの文字が組み合わさることで、文字どおり杯を乾かす、つまりグラスの中身を飲み干して空にするという意味になります。もともとは、注がれたお酒を飲み干す行為そのものを表す言葉だったと考えられているようです。
乾杯でグラスを合わせる理由は三つの説に分かれる
乾杯の際にグラス同士をぶつけ合う、あるいは触れ合わせる習慣には、ひとつに定まった起源があるわけではなく、複数の説が伝えられています。ここでは代表的な三つの説を紹介します。
毒殺防止説はグラスをぶつけて信頼を示す作法だった
もっともよく語られているのが毒殺防止説です。中世ヨーロッパでは、権力者や貴族同士の争いの中で、飲み物に毒を盛って相手を暗殺する事件がたびたび起こっていました。そうした物騒な時代背景の中で、グラスを勢いよくぶつけ合い、互いの飲み物を少しずつ混ぜ合わせるという習慣が生まれたといわれています。
片方のグラスに毒が入っていれば、勢いよくぶつけ合うことで中身が飛び散ったり混ざったりし、双方が同じ飲み物を口にすることになります。グラスをぶつけ合う行為そのものが、この酒に毒は入っていない、あなたを信頼しているという意思表示になっていたというわけです。相手への信頼や友好の証として定着していったこの習慣が、現代の乾杯の作法へとつながっていったと考えられています。
悪魔祓い説はグラスの音で酒に宿る魔を追い払おうとした
二つ目は悪魔祓い説です。古代から中世にかけてのヨーロッパでは、人を酔わせ、時に理性を失わせるお酒には悪魔が宿っていると信じられていた時期がありました。お酒を飲んで気持ちが大きくなったり、普段とは違う言動をしてしまったりする様子が、悪魔の仕業のように見えたのかもしれません。
そこで、グラス同士をぶつけて大きな音を立てることで、酒に宿る悪魔を驚かせて追い払うという魔除けの意味が込められるようになったとされています。宗教的・呪術的な意味合いが強い説ですが、音を立てるという乾杯の動作の由来として、毒殺防止説と並んでよく紹介される説です。
宗教的儀式説は神や死者に杯を捧げた祈りが起源とされる
三つ目は、乾杯という行為そのものが宗教的な儀式に由来するという説です。古代ヨーロッパでは、神に酒を捧げたり、亡くなった人を弔ったりする目的でお酒を飲む文化があり、宗教的な儀式の場でお酒が振る舞われることも多くありました。神や死者に敬意を示す行為としてグラスを掲げる所作が、時代を経て仲間同士の祝福や連帯を示す乾杯という形に変化していったとも考えられています。
これら三つの説は互いに矛盾するものではなく、時代や地域によって異なる背景が重なり合いながら、現在のようなグラスを合わせて共に飲む習慣が形作られていったと見るのが自然でしょう。
日本のお酒には神事と結びついた精神性がある
グラスを合わせる由来がヨーロッパの物騒な歴史や宗教儀式にあるのに対して、日本には日本なりのお酒と祈りの結びつきが古くから存在していました。日本酒は弥生時代から作られていたと考えられており、奈良時代には朝廷による組織的な酒造りの体制も整えられていたとされています。『古事記』には、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するために酒を造ったという逸話も記されており、古くから日本人にとってお酒は特別な存在であったことがうかがえます。
神社や家庭の神棚に供えられる御神酒は、神様への供物のひとつです。「御神酒あがらぬ神はなし」という言い伝えがあるように、日本では古来、お酒は清らかなものであり、神様の世界に近づくための存在として大切に扱われてきました。神主が神事の中で人々と神とを取り持つ際にも、御神酒は欠かせない役割を果たしていたとされています。
現代の乾杯は、神や死者に酒を捧げていた古代の慣習が、時代とともに仲間や参加者同士でお祝いの気持ちを分かち合う行為へと姿を変えたものだと考えられています。西洋由来の毒殺防止説や悪魔祓い説と、日本古来のお酒と神事の結びつきという二つの流れが、現在の乾杯という文化の中に重なり合っているといえるでしょう。
英語のtoastは古代ローマのパン入りワインが語源とされる
日本語では乾杯ですが、英語では乾杯の音頭を取ることをtoastと呼びます。私たちが朝食に食べるトースト、つまり焼いたパンと同じ単語です。なぜ乾杯とパンが同じ言葉で表されるのでしょうか。
古代ローマには、ワインに焦がしたパンの一切れを浮かべる習慣があったといわれています。当時のワインは質が悪く酸味が強いものも多かったため、焦がしたパンを入れることで酸味が和らぎ、風味がまろやかになるという実用的な理由があったようです。
さらに17世紀から18世紀のイギリスでは、お酒を飲む際にパリッとしたトーストを添えることが定番となっており、ちぎったトーストを酒の中に浮かべる習慣もあったとされます。同時期のフランスでも、お祝いの杯を交わす際に小さなトーストの欠片をお酒に浮かべる風習があり、そこからToastという掛け声が生まれたともいわれています。
古代ギリシャで始まったとされる、お祝いの言葉を述べてから杯を交わす習慣と、古代ローマで始まったパンを酒に浮かべる習慣が長い年月をかけて結びつき、英語で乾杯の挨拶や乾杯の音頭そのものをtoastと呼ぶようになったと考えられています。日本語の乾杯が漢字の意味そのままに由来するのに対し、英語のtoastは食文化と深く結びついた、まったく異なる由来を持っているのが興味深い点です。
日本の乾杯文化は幕末の外交の場から始まった
意外に思われるかもしれませんが、グラスを合わせて乾杯するという習慣は日本古来のものではなく、近代になって欧米から伝わったものだとされています。江戸時代までの日本の酒席では、杯を交わす作法はあったものの、現在のようにグラスをぶつけ合って全員で声を合わせる乾杯のスタイルは一般的ではありませんでした。
日本に乾杯の習慣が持ち込まれたきっかけとしてよく語られるのが、幕末の外交の場です。安政元年、西暦1854年の日英和親条約の締結にあたって来日したイギリスのエルギン伯が、私の国では国王の健康を祝して杯を交わす習慣があると幕府側に提案したというエピソードが伝えられています。この提案を受け、幕府の役人であった井上信濃守清直が、その場で乾杯と大きな声で発したことが、日本における乾杯という言葉と習慣の始まりとされる説があるようです。
このほかにも、ペリー提督が黒船での宴席において健康を祈念して杯を交わしたのを、居合わせた幕府の要人が真似たのが始まりだとする説もあり、正確な起源については諸説あるのが実情です。いずれにせよ、幕末に欧米との交流が本格化する中で、日本人が西洋式の乾杯の作法に触れ、それを取り入れていったという点では共通しています。
こうして幕末に持ち込まれた乾杯の習慣は、その後の明治時代に入ってから、外交の場だけでなく一般の宴席にも徐々に広まっていったと考えられています。今ではすっかり日本の宴席に欠かせない作法となっている乾杯ですが、その歴史はまだ二百年に満たない、比較的新しい文化だといえるでしょう。
京都市の日本酒で乾杯条例は2013年1月15日に施行された
乾杯の歴史や由来を語るうえで興味深いのが、日本各地の自治体で制定されている日本酒で乾杯条例の存在です。中でもよく知られているのが、2013年1月15日に施行された京都市の京都市清酒の普及の促進に関する条例で、全国で初めてこの種の条例を制定した自治体だとされています。
制定の背景には、生活様式の変化や食の欧米化、若年層の酒離れなどによって、京都が誇る伝統産業である清酒の消費量が大きく落ち込んでいたという事情がありました。京都府における日本酒の消費量は、ピークであった昭和50年頃と比べて、平成22年度時点で約6割も減少していたといわれています。こうした状況を受け、2011年に地元の伏見酒造組合から京都市や市議会に条例制定を求める要望書が提出されたことをきっかけに、議員提案によってこの条例が制定されました。
条例の目的は、清酒による乾杯の習慣を広めることを通じて、日本酒をはじめとする日本の伝統産業や和の暮らしの魅力を見つめ直し、日本文化への理解を深めてもらうことにあります。ビールで乾杯してはいけないといった罰則や拘束力があるわけではなく、あくまで日本酒の魅力を盛り上げていくための努力義務を定めたものです。京都市でこの条例が施行された後、30年近く減少を続けていた伏見エリアの清酒出荷量が増加に転じたともいわれており、話題性のある取り組みとして全国のほかの自治体にも同様の条例が広がっていきました。
普段何気なく交わしている乾杯の一杯が、地域の伝統産業を支える大切な文化的行為として条例にまで発展しているというのは、乾杯という習慣の奥深さを物語るエピソードといえます。
グラスの種類によって乾杯のぶつけ方は変わる
グラスをぶつけ合う習慣の由来をたどると、毒殺や悪魔といった物騒な背景がありましたが、現代においてそうした心配をする必要はありません。今では、乾杯の際にグラスが触れ合う音を、お祝いの気持ちを分かち合う祝福の音として楽しむという意味合いが強くなっています。
ただし、グラスの種類やシーンによって、望ましいマナーは異なります。居酒屋や宴会などカジュアルな場でのビールジョッキやジョッキ型のグラスであれば、近くにいる相手同士でグラスを軽くぶつけ合い、音を立てて乾杯することが広く行われています。厚手で丈夫な作りのため、多少ぶつけても割れる心配が少ないことも理由のひとつです。
ワイングラスは触れ合わせずに掲げるのが基本になる
ワイングラスのように薄く繊細な作りのグラスでは、乾杯のたびにグラス同士を強くぶつけると破損してしまう恐れがあります。特にフォーマルなパーティーや高級レストランでは、グラスをぶつけずに乾杯するのがスマートな作法とされています。具体的には、ワインが注がれたグラスを目の高さ程度まで持ち上げ、相手と笑顔でアイコンタクトを取りながら乾杯と声をかける所作が推奨されているようです。グラス同士が触れ合う音は、繊細な会食の雰囲気を損なったり、周囲の他のお客様に不快な思いをさせたりする可能性もあるため、静かにグラスを掲げるだけにとどめるのが望ましいとされています。
ワイングラスの持ち方にも触れておきましょう。日本では、ワイングラスの脚、ステムの部分を持つのがマナーとされることが一般的です。丸く膨らんだボウル部分を直接手で持ってしまうと、手の体温がワインに伝わり、本来の味や香り、適切な温度が変化してしまうためだとされています。ステムを持つことで、ワインに余計な体温を伝えず、注がれたときの温度をなるべく保ったまま楽しむことができるというわけです。ただし国際的に統一されたマナーというわけではなく、海外ではボウル部分を指で持つスタイルが一般的とされる場合もあり、ステムを持つ作法はどちらかというと日本国内でのローカルなマナーとして広まっている側面があるようです。
目上の人と乾杯するときはグラスをやや低く構える
日本のビジネスシーンにおける飲み会では、乾杯の際にグラスをどの高さで構えるかにもマナーがあるとされています。目上の人とグラスを合わせる場合、自分のグラスを相手のグラスよりも少し低い位置に構えるのが望ましいとされる考え方が根強く残っています。自分のグラスを相手より高い位置に持っていくと、自分の方が立場が上であるということを暗に示しているように受け取られかねない、という発想に基づくもののようです。もっとも、こうしたグラスを下げるマナーはカジュアルな飲み会の場で意識されることが多く、フォーマルな会食やパーティーの席では必ずしも厳密に求められるものではないとされています。場の雰囲気や相手との関係性に応じて対応することが大切だといえるでしょう。
結婚式のシャンパントーストとグラスタワーには二つの由来がある
結婚式の披露宴でも、乾杯は欠かせないセレモニーのひとつです。新郎新婦とゲストが一斉にシャンパングラスを掲げて乾杯をするシャンパントーストは、欧米に古くから伝わる伝統的な風習が起源とされ、日本では1990年代のバブル経済期以降に広く定着したといわれています。
披露宴の乾杯にシャンパンがよく選ばれる理由のひとつは、その音と泡にあります。シャンパンをグラスに注いだときに立つパチパチという音は天使の拍手と呼ばれることがあり、祝福の場にふさわしい演出とされています。またシャンパンのグラスの中で下から上へと絶え間なく立ちのぼる泡は、幸せがいつまでも途切れることなく続いていくことになぞらえられ、結婚式にふさわしい縁起の良いお酒として親しまれています。
披露宴を華やかに彩る演出として人気の高いシャンパンタワー、グラスタワーにもいくつかの由来が伝えられています。一説には、フランスの農民たちがブドウの収穫を祝って持ち寄ったカップを積み重ねたことが起源だとされ、また別の説では、日本古来の水合わせの儀という儀式が起源になっているともいわれています。水合わせの儀とは、新郎新婦それぞれの実家から汲んできた水を一つの杯に注ぎ合わせて飲むという儀式で、異なる環境で育った二人が違いを乗り越えて一つの家庭を築いていけるようにという願いが込められていたとされています。
グラスを一段一段積み上げていく所作には人生の歩みを一歩ずつ刻んでいくことが、そしてすべてのグラスに注がれたシャンパンが滝のようにあふれ流れる様子には、これから幸せいっぱいの人生を送れるようにという祈りの気持ちが表されているといわれています。乾杯というひとつの行為の中に、こうしたロマンティックな意味が込められているのも結婚式ならではの魅力だといえるでしょう。
世界の乾杯は掛け声も作法も国ごとに異なる
乾杯にまつわる作法や掛け声は、国や文化によっても大きく異なります。日本の乾杯、アメリカのToast、ドイツのProst、フランスのSanté、イタリアのSaluteまたはCin cin、スペインのSalud、中国の乾杯ガンベイ、韓国の건배コンベなど、国や言語によってさまざまな表現が用いられています。興味深いことに、日本語・中国語・韓国語の乾杯の言葉は、いずれも漢字の乾杯に由来し、文字どおり杯を乾かす、飲み干すという意味を持っています。一方でフランス語のSantéやドイツ語のProstは、いずれも健康を意味する言葉が語源となっており、相手の健康を祈るという意味合いが強いのが特徴です。
掛け声だけでなく、乾杯の際の作法にも国ごとの個性が表れます。一例としてドイツの乾杯文化を紹介しましょう。ドイツでは、乾杯をする際に相手の目をしっかりと見ることが非常に重視されています。複数の相手と乾杯をする場合には、一人ひとりと順番にグラスを合わせながら、そのつどきちんと目を合わせるのがマナーとされています。大人数のパーティーであっても、全員が一斉にグラスを掲げるのではなく、近くにいる人同士で一人ずつ乾杯を交わしていくスタイルが一般的です。
さらに興味深いのは、このアイコンタクトのマナーを守れなかった場合に、その後7年間パートナーとの関係がうまくいかなくなるというジンクスが語り継がれている点です。目を合わせずに乾杯をすると、相手への敬意や誠実さが欠けている印象を与えてしまうと考えられているためで、ドイツにおいてはそれほどまでにアイコンタクトが重要視されているということがうかがえます。
同じグラスを合わせて乾杯するという行為でも、国や地域によって重視されるポイントは異なるようです。海外の方と食事をする機会がある場合には、こうした文化の違いを知っておくと、より円滑なコミュニケーションにつながるでしょう。
乾杯の音頭は1分以内に趣旨とひとことをまとめる
宴会や飲み会の幹事を任されると、乾杯の音頭を自分で行ったり、誰かに頼んだりする場面が出てきます。もし自分が乾杯の音頭を頼まれた場合、どのように挨拶をすればよいのでしょうか。
まず大切なのは、長々と話しすぎないことです。乾杯の挨拶は、目安として1分前後、短ければ30秒程度で簡潔にまとめるのが基本とされています。具体的には、本日はお集まりいただきありがとうございますといった簡単な自己紹介や挨拶から始め、続けて会の趣旨や主役へのひとことメッセージなど、短いエピソードを交えながらテンポよく話を進めます。難しい言葉や長い前置きは必要なく、普段どおりの言葉で率直に気持ちを伝えるほうが、聞いている人にも思いが伝わりやすくなります。
挨拶の締めくくりでは、いきなり乾杯と発声するのではなく、それでは皆様ご唱和をお願いいたしますといった一言を挟んでから乾杯と大きな声で音頭を取ると、参加者全員がタイミングを合わせやすくなります。最初のひとことをやや大きめの声ではっきりと発することで、場の空気が引き締まり、宴の始まりにふさわしい雰囲気を演出することができるでしょう。
乾杯と献杯は杯を捧げる相手がまったく違う
似た言葉に献杯があります。乾杯と献杯は、いずれも杯を掲げて飲み物に口をつけるという動作は共通していますが、使われる場面や込められた意味はまったく異なります。
乾の字が乾かす、飲み干すという意味を持つのに対し、献の字には献じる、捧げるといった意味があります。献杯とは、故人に敬意を表し、故人を偲んで杯を捧げる風習のことを指します。献杯は、お祝いの席である結婚式や宴会などでは用いられず、葬儀や法要の後に営まれるお斎と呼ばれる会食の冒頭で行われるのが一般的です。
乾杯の場ではグラス同士を景気よく合わせたり大きな声で唱和したりすることが歓迎されますが、献杯の場ではそうした振る舞いは適切ではありません。献杯の際には、グラスを合わせずに静かに杯を掲げるにとどめ、拍手をすることも控えるのがマナーとされています。同じ杯を交わす行為であっても、お祝いの乾杯と、故人を偲ぶ献杯とでは、込められた気持ちも作法もまったく違うものだということを知っておくと、いざというときに慌てずに対応できるでしょう。読み方もけんぱいとかんぱいで似ているため混同されがちですが、場の空気を読み違えないためにも、両者の違いはしっかり押さえておきたいところです。
お酒が飲めない人もノンアルコールで乾杯に参加できる
乾杯というと、アルコールを飲むことが前提のように思われがちですが、必ずしもお酒でなければならないというわけではありません。体質的にお酒が飲めない人や、あえてお酒を飲まない選択をする人が、乾杯の場でソフトドリンクやノンアルコール飲料を選ぶことは、現代のマナーとしてまったく問題がないとされています。
無理にアルコールの入ったグラスを持ったり、口をつけるふりをしたりする必要はなく、ウーロン茶やジュース、あるいはノンアルコールビールやノンアルコールスパークリングワインなどを注文して、周りと同じように乾杯に参加すれば十分です。近年では、ノンアルコール飲料そのものの種類や質も大きく向上しており、お酒が飲めないから仕方なく選ぶものではなく、美味しいからあえてノンアルコールを選ぶという前向きな捉え方をする人も増えてきているようです。
会の主催者や幹事の立場であれば、事前に参加者へ飲み物の希望を確認しておいたり、ノンアルコールメニューを用意しておいたりすることで、お酒が飲めない人も含めて全員が気持ちよく乾杯できる場を作ることができるでしょう。乾杯の主役はその場に集う人々の気持ちであり、グラスの中身がアルコールかどうかは本質的な問題ではないという考え方が、少しずつ社会に浸透してきているといえそうです。
乾杯でグラスを合わせる習慣の由来には、中世ヨーロッパで毒殺を防ぐために生まれたとされる説、酒に宿るとされた悪魔を追い払うために音を立てたという説、そして神や死者への敬意を示す宗教的な儀式に由来するという説など、複数の説が伝えられています。いずれもひとつに断定できるものではありませんが、時代を超えて人々が共にお酒を飲むという行為に、信頼や祝福、敬意といった意味を込め続けてきたことがうかがえます。
日本語の乾杯という言葉自体は、グラスを飲み干すという意味を持つ漢語に由来しますが、グラスを合わせて全員で唱和する現在のようなスタイルは、幕末に欧米から伝わり、明治以降に広まった比較的新しい習慣です。一方、英語のtoastという言葉には、古代ローマで酒に焦がしたパンを浮かべていた食文化が色濃く反映されています。
現代では、毒殺や悪魔祓いといった物騒な意味合いは薄れ、乾杯はお祝いの気持ちや仲間との連帯感を分かち合うための行為として親しまれています。とはいえ、グラスの材質やシーンに応じたマナー、目上の人への配慮、国によって異なる文化的な作法など、知っておくと役立つポイントも数多くあります。結婚式のシャンパントーストに込められた願いや、京都市の日本酒で乾杯条例に代表される地域の取り組み、そして弔事における献杯との違いなど、乾杯というひとつの行為の周辺には、さまざまな文化や作法が広がっています。お酒を飲む人はもちろん、ノンアルコール飲料を選ぶ人であっても、気持ちよくグラスを掲げられる場を作ることも、現代における大切なマナーのひとつだといえるでしょう。








