ハンバーガーの発祥はドイツ?アメリカ?歴史と起源を徹底解説

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ハンバーガーって、「アメリカの食べ物」だと思っていませんか?

マクドナルド、モスバーガー、バーガーキング……。私たちの周りにはアメリカ発のハンバーガーチェーンがあふれているし、映画やドラマで観るアメリカ人は、だいたいハンバーガーを頬張っている。だから「ハンバーガー=アメリカ生まれ」というのは、もう疑う余地のない常識だと思っていました。

ところが、ちょっと待ってください。「ハンバーガー」という名前をよく見ると、「ハンブルク」というドイツの都市名が隠れているのに気づきますか? 実は私も、ある日ふとそのことに気づいて「え、もしかしてドイツが発祥?」と調べ始めたのがきっかけでした。

すると出てくるわ出てくるわ、驚きの事実。ハンバーガーのルーツをたどると、ドイツどころか13世紀のモンゴル帝国にまでさかのぼるんです。馬に乗りながら肉を柔らかくしていた遊牧民の知恵が、700年以上の時を経て、今あなたが手に持っているあのバーガーにつながっている——。しかも、日本に最初にハンバーガーが伝わった場所は東京でも大阪でもなく、長崎県の佐世保だったというのも見逃せません。

この記事では、大陸をまたぎ、時代を超えたハンバーガーの壮大な旅路を追いかけます。読み終わったら、次にバーガーにかぶりつくとき、きっと「700年分の歴史の味がする」なんて思えるかもしれませんよ。

ハンバーガーの発祥は、名前の由来となったドイツ・ハンブルクと、パンで挟むスタイルを確立したアメリカの両方にルーツがあります。「ハンバーグステーキ」という料理名はドイツの港町ハンブルクに由来し、18世紀にこの地で人気を博した挽肉料理が起源となりました。その後、19世紀にドイツからアメリカへ渡った移民たちが故郷の味を持ち込み、アメリカで「パンに挟んで手軽に食べられる」現在のハンバーガーの形が生まれたのです。

ハンバーガーは今や世界中で愛されるファストフードの代表格であり、その歴史は実に奥深いものがあります。13世紀の中央アジアで生まれたタルタルステーキを遠い祖先とし、ドイツでの発展、アメリカでの革新、そして日本を含む世界各国への伝播という壮大な旅路を経て、現在の形に至りました。この記事では、ハンバーガーがどのようにしてドイツからアメリカへ、そして世界へと広がっていったのか、その歴史と発祥の経緯を詳しく解説していきます。名前の由来から各国での独自の発展、日本への伝来まで、ハンバーガーにまつわる様々な歴史的エピソードを知ることで、普段何気なく食べているこの料理への見方が変わることでしょう。

目次

ハンバーガーの歴史は13世紀のタルタルステーキから始まった

ハンバーガーの最も古いルーツは、13世紀頃の中央アジアにまで遡ります。当時、モンゴル帝国の一部であったタタール族が考案した料理法が、現代のハンバーガーの遠い祖先となりました。

タタール族は騎馬民族として広大な草原を馬とともに移動する生活を送っていました。長距離を移動する彼らにとって、馬は移動手段であると同時に貴重な食料源でもありましたが、馬肉は非常に硬く筋張っていて食べにくいという問題がありました。そこでタタール族は独特の調理法を編み出しました。馬の鞍の下に生肉を置き、騎乗している間に乗り手の体重で肉を押し潰すのです。馬の体温と圧力の相乗効果で肉が柔らかくなり、さらにこの肉を細かく切り刻んで玉ねぎやコショウなどの香辛料で味付けして食べていました。

この料理が「タルタルステーキ」の原型となりました。タタール族のヨーロッパ侵攻とともに、この「硬い肉を柔らかいミンチにして食べる」という発想がヨーロッパ各地に伝わっていきます。タルタルステーキは現在でも、生の牛肉をたたいて細かくし、卵黄や香味野菜とともに食べる料理として世界各地で愛されています。

興味深いことに、タタール族は現在の韓国にも侵攻しており、タルタルステーキをベースにして「ユッケ」という料理が生まれたとされています。つまり、ハンバーグとユッケは同じルーツを持つ親戚関係にあるといえるのです。このように、ハンバーガーの歴史を紐解くと、アジアとヨーロッパをまたぐ壮大な食文化の交流が見えてきます。

ドイツ・ハンブルクで発展したハンバーグステーキの歴史

ハンバーガーという名前の直接的な由来となったのが、ドイツ北部の港湾都市ハンブルクです。タルタルステーキは16世紀頃にドイツへ伝わりました。当時、ロシアのバルト海沿岸諸国を経由して、これらの地域と交易があったハンブルクに伝来したと考えられています。

ハンブルクは古くから国際貿易の拠点として栄えてきた港町です。18世紀になると、このハンブルクでタルタルステーキが大きな人気を博するようになりました。ただし、生肉をそのまま食べることに抵抗があった人々もおり、次第にタルタルステーキを焼いて食べるスタイルが広まっていきました。

この焼いた挽肉料理は、ドイツ北部では「ブーレッテン」、南部では「フリカデレ」と呼ばれていました。牛のひき肉をパン粉や卵、玉ねぎなどと混ぜ合わせて成形し、焼き上げるこの料理は、18世紀のドイツで労働者階級の間で非常に人気がありました。安価な材料で作れて栄養価が高く、腹持ちも良かったためです。

重要な点として、「ハンバーグステーキ」という名称はまさに「ハンブルク風のステーキ」を意味しています。しかし興味深いことに、ドイツ国内ではこの料理を「ハンバーグステーキ」とは呼ばず、「フリカデレ」という名称で親しまれています。「ハンバーグステーキ」という名前は、後にアメリカで付けられたものなのです。

1758年に出版されたハナ・グラスの料理本「The Art of Cookery Made Plain and Easy」には、「ハンブルクソーセージ」というレシピが記載されており、「トーストしたパンの上に乗せて食べる」という記述があります。これは後のハンバーガーの原型とも言える料理形態であり、すでにこの時代からパンと挽肉料理を組み合わせて食べるアイデアが存在していたことがわかります。

1869年頃には、ハンブルクで「ルントシュテュック・ヴァルム」(温かいパンロール)という軽食が人気を博していました。これは挽肉料理をパンと一緒に食べるスタイルで、アメリカに渡る移民たちがこの料理を故郷の味として持ち込んだ可能性が指摘されています。このように、ドイツ・ハンブルクはハンバーガーの名前の由来となっただけでなく、挽肉料理の調理法やパンとの組み合わせという点でも、ハンバーガー誕生の重要な土台を築いた場所といえます。

アメリカへの伝来と移民がもたらしたドイツの食文化

19世紀前半から中頃にかけて、ヨーロッパからアメリカへの大規模な移民の波が起こりました。その中でもドイツからの移民は非常に多く、その多くがハンブルク港から船に乗り、ニューヨークを目指しました。

1847年に創業したハンブルク・アメリカ・ライン(HAPAG)は、大西洋横断航路の主要な船会社として多くの移民をアメリカへ運びました。特に1848年のドイツ革命後は、政治的な理由からドイツを離れる人々が急増し、船会社の乗客も大幅に増加しました。興味深い説として、ハンブルク・アメリカ・ラインの船上で、ハンブルグ風ステーキを2枚のパンに挟んで提供していたという話があります。長い航海の中で、船会社が乗客に親しみやすい故郷の味を提供していたというのです。この船上料理が「ハンバーガー」の起源の一つとされることもあります。

ニューヨークに到着した移民たちは、新天地でも故郷の味を求めました。ニューヨーク港界隈のレストランでは、ドイツ人船員や移民客を呼び込むために、ハンブルク風のステーキをメニューに加えるようになりました。

アメリカにおいてハンバーグステーキが確認できる最古の文献は、1873年のニューヨークにあった高級レストラン「デルモニコズ」のメニュー表です。そこには「hamburg steak」と記載されており、11セントで提供されていました。当時、これは普通の牛ヒレ肉の2倍もの価格であり、富裕層向けの高級料理として位置づけられていたことがわかります。当時のハンバーグステーキは、牛肉を手作業で刻み、軽く塩漬けにするか燻製にしたものを、玉ねぎとパン粉と一緒に生または軽く焼いて提供するものでした。現在の焼き上げたパティとはやや異なる料理だったのです。

1870年代になると、多くのドイツ人がハンブルクからアメリカに渡るようになり、移り住んだドイツ人がアメリカでもドイツの郷土料理であるフリカデレを愛食するようになりました。この肉料理は、アメリカで「ハンブルクの厚肉焼き」を意味する「ハンバーグステーキ(Hamburg steak)」と呼ばれるようになりました。19世紀半ばには改良型の肉挽き器が開発されたことも、アメリカでハンバーグが普及する後押しとなりました。大量の挽肉を容易に作れるようになったことで、より多くの人々がこの料理を楽しめるようになったのです。

ハンバーガー発明者をめぐる複数の説とアメリカでの誕生

ハンバーグステーキをパンで挟んで「ハンバーガー」として提供した最初の人物については、複数の説があり、現在も論争が続いています。このことは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アメリカ各地で同時多発的に似たような料理が考案されたことを示しています。

チャーリー・ナグリーン説(1885年) によると、1885年にウィスコンシン州シーモアで開催された「アウタガミ郡フェア」で、当時15歳の少年チャーリー・ナグリーンが屋台でハンバーグステーキを販売していました。しかし、売れ行きは芳しくありませんでした。ナグリーンは、お祭りに来ている人々が食べ物を手に持ったまま歩き回りたいのだと考え、ハンバーグステーキを2枚のパンで挟んで販売するようになったところ、大いに売れるようになったといいます。現在でもウィスコンシン州シーモアでは、チャーリー・ナグリーンを「ハンバーガーの創始者」として大切にしており、彼の大きな銅像が建てられています。

ルイス・ラッセン説(1900年) では、コネチカット州ニューヘイブンでルイス・ラッセンという人物が1895年からランチワゴンで食堂を経営していました。1900年のある日、急いでいるビジネスマンが「走りながらでも食べられるものをくれ」と注文しました。そこでラッセンは、2枚のトーストに牛肉のパティを挟んで提供しました。これが評判となり、「ハンバーガーサンドイッチ」として定着したとされています。ラッセンの店「Louis’ Lunch」は現在も営業を続けており、アメリカ議会図書館からは「ハンバーガーサンドイッチを最初に販売した店」として公式に認定されています。

フレッチャー・デイビス説(1880年代後半) によると、テキサス州アセンズでフレッチャー・デイビス(通称「オールド・デイブ」)がカフェを経営していました。彼は1880年代後半から、焼いた牛肉のパティをパンで挟み、マスタードと生玉ねぎを添えて提供していたとされています。彼は後に1904年のセントルイス万国博覧会でもこの料理を販売しました。

セントルイス万国博覧会説(1904年) は、ハンバーガーの歴史において重要な転機となりました。1904年にミズーリ州セントルイスで開催されたこの博覧会の会場内で、「ハンバーガー」という名称でパンに挟んだハンバーグステーキが販売されたという公式記録が残っています。ニューヨーク・トリビューン紙は、この博覧会でハンバーガーを「食品販売業者による革新」として紹介しました。全米から集まった大勢の来場者がこの「食べ歩きできる」新しいスタイルの料理に接したことで、ハンバーガーの知名度は一気に全国に広まりました。

これらの複数の説が存在することからわかるように、「ハンバーガーの発明者」を一人に特定することは困難です。おそらく、ハンバーグステーキという料理がすでに広く普及していたこと、そして「手軽に食べられる」料理への需要が高まっていたことが背景にあり、各地で自然発生的にパンで挟むアイデアが生まれたのでしょう。

ファストフード産業の幕開けとホワイトキャッスルの革命

1920年代に入ると、ハンバーガーはアメリカのファストフード産業の象徴として急速に発展していきます。その先駆けとなったのが、1921年にカンザス州ウィチタで創業した「ホワイトキャッスル」です。

当時のアメリカでは、挽肉料理に対する不信感が広がっていました。1906年に出版されたアプトン・シンクレアの小説「ジャングル」が、食肉加工業界の劣悪な衛生状態を暴露したことがきっかけでした。多くのアメリカ人が挽肉の品質や衛生面を疑い、食べることを躊躇するようになっていたのです。

ホワイトキャッスルの創業者であるビリー・イングラムとウォルター・アンダーソンは、この状況を逆手に取りました。彼らは「清潔さ」を最大の売りにしたのです。店舗は白い琺瑯タイルで覆われ、内装にはステンレススチールを使用しました。「ホワイトキャッスル」(白い城)という店名自体が、清潔さと信頼性を象徴しています。従業員は染み一つない白い制服を身につけ、調理過程を客に見せることで、衛生面への不安を払拭しました。

ホワイトキャッスルは「スライダー」と呼ばれる一口サイズの小さなハンバーガーを、当時1個5セント(現在の価値で約7円程度)という安価で販売しました。また、ハンバーガーを紙袋に入れて提供するスタイルも、ホワイトキャッスルが最初に採用したとされています。この「安くて、早くて、清潔」というコンセプトは大成功を収め、ホワイトキャッスルは急速に店舗を拡大していきました。これがアメリカのファストフード産業の幕開けとなったのです。

マクドナルドの登場とハンバーガーの世界展開

ホワイトキャッスルの成功から30年以上が経った1940年、カリフォルニア州でディックとマックのマクドナルド兄弟が、ドライブイン形式のレストランを開業しました。当初は一般的なドライブインでしたが、1948年に彼らは画期的な改革を行いました。「スピーディーサービス・システム」と呼ばれる効率的なオペレーションシステムを導入し、メニューを絞り込み、調理工程を徹底的に分業化したのです。これにより、短時間で大量のハンバーガーを提供することが可能になりました。

1955年、ミルクシェイクミキサーのセールスマンだったレイ・クロックが、マクドナルド兄弟の店を訪れました。その効率的なシステムに感銘を受けたクロックは、兄弟からフランチャイズ権を取得し、全国展開を開始しました。クロックの経営手腕により、マクドナルドは急速に成長しました。フランチャイズ制度を活用した店舗拡大、徹底した品質管理、効率的なサプライチェーンの構築など、現代のファストフードビジネスの基礎を築いたのです。

マクドナルドは約120カ国に40,000店舗以上を展開する世界最大のハンバーガーチェーンとなっています。ハンバーガーは、マクドナルドの世界展開とともに、アメリカの食文化を象徴するグローバルフードとして世界中に広まりました。マクドナルドに続いて、バーガーキングやウェンディーズなど、多くのハンバーガーチェーンが世界展開を行っています。バーガーキングは世界に約19,000店舗を展開し、特にヨーロッパや中南米で強いプレゼンスを持っています。

日本へのハンバーガー伝来の歴史と佐世保の役割

日本にハンバーガーが伝わったのは、第二次世界大戦後のことです。戦後、日本は連合国軍(主にアメリカ軍)の占領下に置かれ、各地に米軍基地が設置されて多くのアメリカ人兵士が駐留するようになりました。彼らを通じて、ハンバーガーという食文化が日本に持ち込まれたのです。

特に重要な役割を果たしたのが、長崎県佐世保市です。佐世保には1889年に大日本帝国海軍の鎮守府が設置され、軍港都市として発展してきました。戦後、この地に米海軍が進駐し、1950年の朝鮮戦争勃発後は前線基地としての役割も担いました。

佐世保が朝鮮特需による好景気に沸いた1950年頃、米海軍関係者からハンバーガーのレシピを教わった地元の人々が、ハンバーガーの販売を始めたとされています。当初は基地近くの店でアメリカ人向けに販売されていましたが、次第に日本人の間でも人気が広まっていきました。このため、佐世保は「ハンバーガー伝来の地」と呼ばれています。佐世保で最初にハンバーガーを提供した店は明確ではありませんが、現存する店舗の中では「ヒカリ」や「ブルースカイ」が創業店の候補として挙げられています。

同じ1950年頃、宮城県仙台市でも「ほそやのサンド」(1949年開業)がハンバーガーの販売を始めており、東京の六本木にもハンバーガーショップが登場しました。つまり、日本各地でほぼ同時期にハンバーガー文化が根付き始めたのです。営業を継続している日本のハンバーガーショップとしては、「ほそやのサンド」が最古とされています。

日本のハンバーガーチェーン誕生の歴史

1960年代に入ると、日本でもファストフードへの関心が高まり始めました。日本初のハンバーガーチェーン店としてファストフードとして営業を開始したのは、1963年にアメリカ統治下の沖縄県に出店した「A&W」です。ただし、当時の沖縄はまだ日本に返還されていなかったため、本土での最初のチェーン店とは区別されることがあります。

本土における日本初のハンバーガーチェーン店は、1970年2月に東京都町田市のダイエー原町田店前にオープンした「ドムドムハンバーガー」です。ドムドムハンバーガー誕生の背景には、興味深い経緯があります。当時、スーパーマーケットチェーンのダイエーは、アメリカのマクドナルド本社と合弁会社を設立し、日本でのマクドナルド展開を計画していました。しかし、合弁会社の出資比率をめぐって交渉が決裂しました。米マクドナルド側が50%ずつを主張したのに対し、ダイエー側は過半数の51%以上を求めたためです。計画が破談となったダイエーは、独自の研究のもとでハンバーガーチェーンを展開することを決断し、「ドムドムハンバーガー」が誕生しました。

その翌年、1971年7月に日本マクドナルドの第1号店が東京・銀座三越1階にオープンしました。当時のハンバーガーは1個80円、ビッグマックは200円でした。銀座という一等地への出店は大きな話題となり、日本マクドナルドは急速に店舗を拡大していきました。1972年には「モスバーガー」と「ロッテリア」の1号店が相次いでオープンし、1970年代前半は日本における「ハンバーガーラッシュ」の時代となりました。

日本独自のハンバーガー文化の発展と佐世保バーガー

日本のハンバーガー市場は、1970年代以降、独自の発展を遂げてきました。1980年代に入ると、各チェーンは他社との差別化を図るため、様々な新商品を開発しました。特に日本市場向けの商品として注目されたのが、海老を使ったバーガーです。マクドナルドの「えびフィレオ」やロッテリアの「エビバーガー」など、海産物を好む日本人の嗜好に合わせた商品が次々と登場しました。

1987年には、モスバーガーから画期的な商品「ライスバーガー」が発売されました。パンの代わりにご飯で具材を挟むという、日本ならではのアイデアです。これは日本の食文化とハンバーガーを融合させた象徴的な商品となりました。

2000年代に入ると、「佐世保バーガー」が全国的な注目を集めるようになりました。佐世保バーガーとは、長崎県佐世保市内の店で提供される手作りハンバーガーの総称です。佐世保バーガーの特徴は、「注文を受けてから作り始める」という点にあります。作り置きをせず、新鮮な材料を使って一つ一つ手作りするスタイルです。また、一般的なファストフードのハンバーガーと比べてサイズが大きく、具材もたっぷり入っているのが特徴です。

2007年1月には「佐世保バーガー認定制度」が創設されました。「独自性・主体性」「信頼性」「地産地消」「手づくり」などの基準を満たした店舗のみが「佐世保バーガー認定店」として認められます。認定店には、やなせたかし氏がデザインした「バーガーボーイ」というイメージキャラクターの看板が掲げられています。認定店は市内に25店舗ほどあり、佐世保は「ハンバーガーの街」として観光客を集めています。

アメリカにおけるハンバーガー消費と世界的なトレンド

ハンバーガーは今や、アメリカだけでなく世界中で愛される料理となっています。ハンバーガーの本場アメリカでは、年間400億食以上のハンバーガーが消費されているとされています。これは1人あたり年間約50個以上に相当し、ハンバーガーがアメリカの食文化においていかに根強い人気を持っているかを示しています。なお、アメリカでは牛肉100%を使用したものを「ハンバーガー」と呼び、チキンやフィッシュを使用したものは「サンドイッチ」として区別されることが一般的です。

近年、ハンバーガー市場では「高品質化」「グルメ化」のトレンドが顕著です。従来の安価なファストフードとしてのイメージから脱却し、厳選された素材を使用した1個500円以上の「グルメバーガー」や「プレミアムバーガー」が人気を集めています。手作りのパティ、こだわりのバンズ、新鮮な野菜など、品質を追求したハンバーガー専門店が世界各地で増加しています。

日本のハンバーガーも世界的な評価を得るようになっています。「SHOGUN BURGER」は2022年の「JAPAN BURGER CHAMPIONSHIP」で優勝し、世界大会「World Food Championships」では2022年、2023年にアジア圏唯一のトップ6に輝きました。また、2024年のスウェーデン発ハンバーガーレビューサイト「Burgerdudes」による「The World’s Best Burgers 2024」では、スペイン・バレンシアの「Hundred Burgers」が世界一に選ばれるなど、ハンバーガーのグローバルな競争と発展が続いています。

ハンバーガーの文化的意義とグローバリゼーションの象徴

ハンバーガーは単なる食べ物を超えて、様々な文化的意義を持つ存在となっています。マクドナルドに代表されるハンバーガーチェーンの世界展開は、アメリカ文化のグローバル化を象徴するものとして語られることが多くあります。世界中どこでも同じ品質の商品が提供されるという均一性は、グローバル化の光と影を考える上で重要な事例となっています。

経済指標としてのビッグマックという側面も注目に値します。イギリスの経済誌「エコノミスト」は1986年から「ビッグマック指数」を発表しています。これは、各国のマクドナルドで販売されるビッグマックの価格を比較することで、各国の購買力や為替レートの適正さを測る指標です。ハンバーガーという身近な商品が、国際経済を理解するツールとして活用されているのです。

ハンバーガー、特にファストフードとしてのハンバーガーは、「食の民主化」を体現する存在でもあります。かつて高級レストランでしか食べられなかった肉料理を、誰もが手軽に楽しめるようにしたという点で、食文化の歴史において重要な役割を果たしてきました。1873年にニューヨークの高級レストラン「デルモニコズ」で富裕層向けに提供されていたハンバーグステーキが、わずか50年ほどで庶民の日常食となったことは、食の歴史における大きな変革といえます。

ハンバーガーの基本構成とその奥深さ

ハンバーガーは、シンプルでありながらも計算された構成を持つ料理です。バンズはハンバーガー用の丸いパンを指し、上部のパンを「クラウン」、下部を「ヒール」と呼ぶこともあります。バンズには様々な種類があり、全粒粉を使用したヘルシー志向のもの、ハーブやスパイスを練り込んだもの、チーズを練り込んで香ばしさとコクをプラスしたものなど、各店舗のこだわりが反映されています。

パティはハンバーガーの主役である肉の部分を指します。主に牛のひき肉を使用し、脂肪分が20〜30%程度のものを選ぶと、しっとりとジューシーな味わいに仕上がります。基本的な味付けは塩と黒胡椒で、玉ねぎのみじん切りを加えると甘みが増します。アメリカでは牛肉100%を使用したものだけを「ハンバーガー」と呼び、チキンやフィッシュを使用したものは「サンドイッチ」として区別されます。

定番のトッピングとして、レタス、トマト、オニオン、ピクルス、チーズなどがあります。チェダーチーズをのせた「チーズバーガー」は世界中で愛される人気メニューです。日本生まれの「てりやきバーガー」は、甘辛い照り焼きソースを使用した独自のスタイルで、海外でも人気を博しています。このように、シンプルな構成ながらも、各要素にこだわることで無限のバリエーションが生まれるのがハンバーガーの魅力です。

ハンバーガーの発祥と歴史を振り返って

ハンバーガーの歴史を辿ると、13世紀のタタール族から始まり、ドイツ・ハンブルク、アメリカ、そして世界各国へと、実に壮大な旅路が見えてきます。「ハンバーガーはどこ発祥か」という問いに対する答えは、見方によって異なります。名前の由来であるドイツ・ハンブルクを発祥とする見方、パンで挟んで食べるスタイルを確立したアメリカを発祥とする見方、さらには遠くタタール族の料理をルーツとする見方など、様々な解釈が可能です。

確かなことは、ハンバーガーが多くの国や文化の影響を受けながら、現在の形に発展してきたということです。タタール族の知恵、ドイツ移民の郷愁、アメリカの起業家精神、日本の職人技など、様々な要素が融合して、今日私たちが楽しんでいるハンバーガーが生まれました。

ハンバーガーの歴史は、以下の年表に示す通り、約700年以上にわたる長い道のりを経ています。

年代出来事
13世紀頃タタール族がタルタルステーキの原型となる料理を考案
16世紀頃タルタルステーキがドイツに伝来
18世紀ドイツ・ハンブルクでハンバーグステーキの原型が人気に
1847年ハンブルク・アメリカ・ライン創業、移民輸送が本格化
1873年ニューヨークのデルモニコズでハンバーグステーキがメニューに登場
1885年チャーリー・ナグリーンがハンバーガーを販売(説)
1900年ルイス・ラッセンがハンバーガーサンドイッチを販売(説)
1904年セントルイス万国博覧会でハンバーガーが注目を集める
1921年ホワイトキャッスル創業、ファストフード産業の幕開け
1940年マクドナルド兄弟がカリフォルニアでレストランを開業
1950年頃日本の佐世保でハンバーガーが伝来
1955年レイ・クロックがマクドナルドのフランチャイズ展開を開始
1963年沖縄にA&Wが出店
1970年ドムドムハンバーガーが日本初のチェーン店として開業
1971年日本マクドナルド1号店が銀座にオープン
1972年モスバーガー、ロッテリア創業
1987年モスバーガーがライスバーガーを発売
2007年佐世保バーガー認定制度が創設

そして、ハンバーガーの歴史はまだ終わっていません。グルメバーガーの登場、植物由来の代替肉パティの開発、各国の食文化との融合など、ハンバーガーは今も進化を続けています。シンプルでありながら奥深いハンバーガーの魅力は、これからも世界中の人々を惹きつけ続けることでしょう。

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