十二支に猫がいない理由は、昔話の中でねずみにわざと違う集合日を教えられ、動物たちが神様のもとへ集まるレースに参加できなかったから、というのが日本でもっとも広く知られている説明です。子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二種類には、猫と並んで身近な犬までもが名を連ねているのに、猫だけが仲間外れになった背景には、昔話としての物語と、古代中国で十二支が生まれた歴史的な事情という、性質の異なる二つの理由が重なっています。この記事では、十二支のはじまりを描いた昔話のあらすじから、猫と干支をめぐる歴史的な経緯、そしてベトナムのように猫年が存在する国の事情まで、順を追って整理していきます。読み終えるころには、年賀状や干支占いで毎年目にしている十二支について、これまでとは違う解像度で眺められるようになるでしょう。

十二支に猫がいない理由はねずみがついた偽の集合日にあります
十二支に猫が入っていない理由として最も有名なのは、「十二支のはじまり」と呼ばれる日本の昔話です。ある年の暮れ、神様は動物たちに向けて、元旦の朝に自分のもとへ早く着いた順に、一番から十二番までをその年の大将にすると告げました。これを聞いた動物たちは、我こそが一番になろうと張り切ります。
ところが猫は、集合日をねずみに尋ねたことが命取りになりました。ねずみは「集合日は一月二日だよ」とうそをつき、本当の日にちより一日遅い日を猫に教えたのです。何の疑いも持たずに信じ込んだ猫は、のんびりと二日の朝に出発しようとします。道の途中で、レースを早々に諦めて戻ってきたたぬきに出会い、そこで初めて日にちが間違っていたことに気づきますが、時すでに遅く、十二支の順位はすでに確定していました。
この一件から、猫はそれ以来ねずみを見るたびに追いかけまわすようになったと語られています。あわせて、二度と寝坊しないようにと顔を洗う仕草を身につけたという尾ひれもよく添えられます。猫が前足で顔をなでるしぐさや、ねずみを執拗に追う習性を、昔話らしい理屈でうまく説明づけている点が、この物語が長く語り継がれてきた理由のひとつでしょう。
ねずみが十二支の一番になれた理由は牛の背中に乗った機転にあります
同じ昔話には、体の小さなねずみがなぜ十二支の一番手である子になれたのかという、もうひとつの見どころがあります。動物の中でも歩みが遅い牛は、出遅れまいと大晦日の夜のうちからひそかに出発していました。ところがそれに気づいたねずみは、こっそり牛の背中に飛び乗り、気づかれることなく運ばれていきます。
そして牛が誰よりも早く神様の御殿に着き、一番乗りだと喜んだ瞬間、ねずみは背中からぴょんと飛び降りて先に駆け出しました。体格でも脚力でも劣るはずのねずみが一番目となり、牛は二番目に甘んじることになったというわけです。牛をだしぬいて一番を勝ち取り、なおかつ猫には偽の日にちを教えて仲間はずれにする。昔話の中のねずみは、十二支レースの陰の主役ともいえる存在として描かれています。
犬猿の仲の由来にも十二支レースの喧嘩が関係しています
十二支の昔話には、猫とねずみのエピソード以外にも、動物同士の相性を説明する小さな逸話がいくつも織り込まれています。代表的なのが犬と猿の関係です。犬は泳ぎが得意で、川を渡る場面でも力を発揮したと語られていますが、同じくレースに参加していた猿と道中を共にしたことがあだとなりました。
犬と猿は道すがら喧嘩ばかり繰り返し、そのたびに足を止めて言い争っていたため、本来ならもっと早くゴールできたはずの犬は、結局十一番目という順位でしか御殿にたどり着けませんでした。この昔話は、仲の悪い間柄を指す「犬猿の仲」ということわざの由来のひとつとしても紹介されています。猫とねずみの因縁、犬と猿のいがみ合いなど、十二支の物語は単なる順位決定の話にとどまらず、動物同士の関係性まで説明する豊かな寓話として親しまれてきました。
涅槃図に猫が描かれない理由はお釈迦様への知らせが届かなかったからです
猫が十二支に入れなかった理由には、仏教にまつわる伝承も存在します。お釈迦様が入滅した際の様子を描いた涅槃図という仏画には、悲しみにくれる弟子たちだけでなく、数多くの動物が描き込まれています。ところがこの涅槃図の多くに、猫の姿だけが見当たりません。
ひとつの言い伝えでは、お釈迦様の母である摩耶夫人が天界から持ち帰った不老長寿の薬袋が沙羅双樹の枝に引っかかり、それを取ろうとしたねずみを猫が追い払ってしまったために、お釈迦様を救うことができなかったとされます。もうひとつの言い伝えでは、お釈迦様が亡くなる際、他の動物たちに知らせて回る役目を担っていたねずみが、日頃から折り合いの悪かった猫にだけはわざと知らせなかったとされ、うたた寝をしていた猫は間に合わなかったとされています。日本の昔話とは細部が異なるものの、「ねずみが猫を出し抜いたために、猫だけが重要な場に間に合わなかった」という骨格は共通しており、東アジアの広い範囲でこの種の物語が育まれてきたことがうかがえます。
実際、中国の民話にも似た構造の話が伝わっています。天界を治める玉帝が動物たちを宴に招いて十二支の順番を決めるという設定で、猫はねずみに宴の日取りを偽って伝えられたために出席できず、十二支の座を得られなかったとされています。舞台や神様の呼び名は違っていても、ねずみに騙された猫という筋書きは、日本にも中国にも共通して残っているのです。
十二支の由来は紀元前15世紀ごろの中国で始まった木星観測です
昔話とは別に、歴史をたどると十二支の成り立ちはまったく違う姿を見せます。十二支が考案されたのは、紀元前十五世紀ごろの中国、殷の時代までさかのぼるとされています。しかも当初の十二支は動物とは無関係で、単なる記号として使われていました。
背景にあったのは天文学的な観測です。古代中国の人々は、木星がおよそ十二年かけて天球を一周することに着目しました。そこで天球を西から東へ十二の区画に分け、毎年木星がどの位置にあるかを示す指標として「十二辰」を用いたのです。各区画に割り振られた名称こそが、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥という十二支の文字でした。天体観測にもとづいて正確な暦を国民に示すことは、古代中国において皇帝の重要な義務のひとつとされており、十二支という仕組み自体は非常に早い段階で整えられていたことになります。
動物が割り当てられたのは紀元前5〜3世紀の庶民向け普及策です
十二支に動物が結びつけられたのは、十二支そのものが考案されてからかなり時間が経った、紀元前五世紀から三世紀ごろのことです。十二支の文字は専門知識のない一般庶民にはなじみが薄く、覚えにくいものでした。そこで、暦の巡りを広く民衆に浸透させる工夫として、身近で覚えやすい十二種類の動物の名前を各文字に当てはめる方法が考え出されました。文字を読めない人でも、動物の姿を思い浮かべれば自分の生まれ年を覚えられるようにした、というわけです。
歴史資料の上でも、遅くとも秦の時代には十二支に動物が当てられていたことが確認されています。後漢の時代に王充が著した『論衡』という書物には、現在私たちが知っているものとほぼ同じ十二獣の対応関係がすでに記されています。十二支に動物を当てはめる文化は、二千年近くにわたって受け継がれてきた息の長い慣習だといえるでしょう。
猫が十二支に入れなかった歴史的な理由は中国への伝来の遅れです
十二支に猫が加わらなかった理由については、そもそも十二支という枠組みが定まった時点で、猫という動物自体が中国でまだ広く知られていなかったという見方があります。家畜化された猫はもともとエジプトを中心とする地域で暮らしていたとされ、その歴史はおよそ紀元前十六世紀ごろまでさかのぼります。十二支という仕組みが中国で生まれたのもほぼ同じ紀元前十六世紀ごろですが、猫が中国大陸に伝わったのは紀元前二百年ごろとされており、十二支の原型が成立してから千年以上ものちのことになります。
ねずみ・牛・虎・うさぎ・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪という十二種の動物は、いずれも古代中国で生活に身近な、あるいは信仰上重要な存在でした。この時点でまだ大陸に定着していなかった猫が候補に挙がらなかったとしても不思議ではありません。昔話のような劇的な理由ではなく、十二支ができた時代の中国にはまだ猫があまりいなかったという、歴史的で地に足のついた事情が背景にあるといえます。
寅に虎が選ばれた理由についても触れておきます。中国において虎は古くから強さとたくましさの象徴とされ、人々の畏敬と憧れを集める神聖な動物とされてきました。これに対して当時の中国社会において、猫は体が小さく、虎ほど象徴的な存在ではありませんでした。国家的な意味合いを持つ十二支という枠組みに動物を選ぶにあたって、身近さと同時に強さや威厳を感じさせる動物が優先された結果、猫ではなく虎が選ばれたという見方です。
干支と十二支は同じ意味ではなく十干との組み合わせで60種類になります
日常会話では「干支」と「十二支」がほぼ同じ意味で使われますが、厳密にはこの二つは別のものです。干支とは、本来「十干十二支」を略した言葉です。十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸という十種類の記号で、もともとは一から十までを数えるための符号でした。十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二種類です。
この十干と十二支を組み合わせると、「甲子」「乙丑」のようにそれぞれの年を表す名称が作られます。十干が十種類、十二支が十二種類あるため、単純に掛け合わせれば百二十通りできそうですが、実際に使われる組み合わせは六十通りしかありません。十干・十二支のそれぞれに「陽」と「陰」の性質が割り振られており、陽は陽どうし、陰は陰どうしでしか組み合わされないという規則があるためです。六十通りの干支が一巡するのにちょうど六十年かかることから、六十歳の誕生日を生まれた年の干支に戻るという意味で「還暦」と呼ぶ風習が生まれました。
十二支それぞれの動物に込められた意味を一覧で整理します
猫が入らなかった十二支ですが、実際に選ばれた十二種類の動物には、それぞれ独自の象徴的な意味が込められています。主な象徴を表にまとめると、次のようになります。
| 十二支 | 動物 | 主な象徴 |
|---|---|---|
| 子 | ねずみ | 繁殖力による子孫繁栄、富の象徴 |
| 丑 | 牛 | 力強さ、粘り強さ、誠実さ |
| 寅 | 虎 | 勇猛さ、決断力、リーダーシップ |
| 卯 | うさぎ | 穏やかさ、跳躍力、家庭円満 |
| 辰 | 龍 | 権力、成功、無限の可能性 |
| 巳 | 蛇 | 再生、不老長寿、金運 |
| 午 | 馬 | 生命力、快活さ、人とのつながり |
| 未 | 羊 | 家族の安泰、平和、穏やかさ |
| 申 | 猿 | 器用さ、知恵 |
| 酉 | 鶏 | 物事を見通す力、商売繁盛 |
| 戌 | 犬 | 忠実さ、家族を守る力 |
| 亥 | 猪 | 突き進む力強さ、無病息災 |
このように、十二支に選ばれた動物はいずれも古代の人々の暮らしや信仰と結びついた象徴性を備えています。猫が候補から外れた背景には、こうした生活や信仰に根ざした象徴性という観点からも、当時の中国社会で猫がまだ重要な位置を占めていなかった事情が透けて見えます。
ベトナムでは卯年ではなく猫年になる理由は発音の類似と農耕文化です
日本や中国では十二支に猫が含まれていませんが、世界に目を向けると、卯の代わりに猫を組み込んでいる国が存在します。代表例がベトナムで、日本の卯年にあたる年が猫年とされています。
理由のひとつは言語的なものです。中国語で「うさぎ」を意味する漢字「卯」はマオに近い発音で読まれますが、この響きがベトナム語で猫を意味する単語「メオ」の発音と似ていたため、干支が中国からベトナムへ伝わる過程でうさぎが猫に置き換わったという説明です。もうひとつは農耕文化との関わりです。稲作を中心に営んできたベトナムでは、田畑を荒らす野ねずみが農作物の脅威でした。そのねずみを退治してくれる猫は、作物を守ってくれるありがたい存在として敬われており、うさぎよりも猫のほうが暮らしに根づいた動物として十二支にふさわしいと考えられたとされています。
ベトナムの十二支では猫以外にも動物の置き換えが見られます。丑にあたる年は牛ではなく水牛、未は山羊、亥は豚というように、いずれもベトナムの暮らしに馴染みの深い動物へと変化しています。十二支という枠組みが中国から伝わったのち、それぞれの国や地域の風土に合わせて独自にアレンジされてきたことがよくわかります。
モンゴルやタイでも十二支の動物は国ごとに置き換わります
動物が国によって異なる例は、猫年に限った話ではありません。次の表は、日本や中国と、ベトナムをはじめとする周辺国での違いをまとめたものです。
| 十二支 | 日本・中国 | 一部の周辺国 |
|---|---|---|
| 卯 | うさぎ | ベトナム・タイ・チベットなどでは猫 |
| 丑 | 牛 | ベトナムでは水牛 |
| 未 | 羊 | ベトナムでは山羊 |
| 亥 | 猪 | ベトナムでは豚 |
| 寅 | 虎 | モンゴルでは豹 |
| 辰 | 龍 | タイ・カンボジア・マレーシアなどではナーガ |
モンゴルの草原地帯では、虎よりも豹のほうが人々の生活や自然観に馴染みの深い動物だったことから、寅に豹があてられているとされています。またタイやカンボジア、マレーシアなど東南アジアの一部では、辰にあたる年に実在の龍ではなく、東南アジアの神話に登場する蛇神ナーガがあてられることがあります。十二支という枠組みが中国から周辺各国へ伝わっていく過程で、それぞれの土地の自然環境や信仰に合わせて柔軟に姿を変えてきたことが、これらの例からうかがえます。
十二支に入らなくても猫は招き猫として日本で愛されてきました
十二支という枠組みからは外れた猫ですが、だからといって日本人にとって縁起の悪い動物とされてきたわけではありません。猫は招き猫という日本を代表する縁起物のモチーフとして、商売繁盛や家庭円満、開運のシンボルとして大切にされてきました。
招き猫の発祥については諸説ありますが、代表的な伝承のひとつが東京・世田谷の豪徳寺にまつわるものです。江戸時代、鷹狩りの帰りに雷雨に見舞われた武将の井伊直孝が、寺の門前で前足を上げて招くしぐさをする一匹の白猫に導かれて雨宿りをし、九死に一生を得たという逸話から、猫が福を呼び込む存在として広まったとされています。東京・浅草の今戸神社も招き猫発祥の地のひとつとされ、江戸時代の文献や出土品によって、この地域で作られた丸〆猫と呼ばれる招き猫の実在が確認されています。
こうした猫への愛着は、現代の年賀状文化にも表れています。年賀状印刷サービスの中には、十二支の動物にとらわれず、あえて猫を主役にした「にゃん賀状」という商品を展開しているところもあります。干支が辰であろうと未であろうと関係なく、毎年猫をモチーフにしたデザインを楽しめるサービスとして人気を集めており、注文一件につき一円を動物保護団体に寄付する取り組みと結びつけられている例もあります。十二支の座を得られなかった猫が、干支の枠組みの外側で独自の年賀状文化を築いているのは、なかなか興味深いところです。
十二支は亥で終わらず子へ戻り六十年周期の干支へつながります
十二支レースの結末として語られる順位は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌ときて、最後の十二番目に猪が到着したところで締めくくられます。亥年生まれの人は、猪突猛進という言葉のとおり、目標に向かってまっすぐ突き進む行動力の象徴とされ、物語の最後を飾るにふさわしい動物として位置づけられています。
興味深いのは、十二支が十二番目の亥で終わってそのまま消えるわけではなく、翌年にはまた一番目の子へ戻り、同じ十二種類の動物の順番が繰り返されていく点です。十二支がもともと、木星の運行という終わりのない天体の巡りを示すために生まれた仕組みだったことを思えば、この循環構造こそが十二支の本質だといえるでしょう。猫が加われなかった悔しさも、ねずみのずる賢さも、犬と猿のいがみ合いも、すべてはこの終わりのない十二年周期の物語に組み込まれ、十干と組み合わさりながら六十年周期の干支として、毎年繰り返し語り継がれています。
十二支に猫がいない理由をたどっていくと、昔話としての物語性豊かな説明と、天文学・歴史学・言語学にまたがる説明とが、幾重にも折り重なっていることがわかります。年賀状や干支占いを通じて何気なく触れている十二支ですが、その成り立ちを掘り下げると、動物たちの寓話的なドラマから古代中国の暦の仕組み、さらにはベトナムの農耕文化まで、幅広いテーマにつながっています。猫が十二支に入らなかった理由は、単なる豆知識にとどまらず、動物と人間の暮らしとの関わり、そして文化が国境を越えて伝わり変化していく様子を教えてくれる題材だといえます。








