なぜ日本のカレーはイギリス経由?カレーライス伝来の歴史と進化

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「カレーの本場はインドでしょ?」ほとんどの人がそう思っていますよね。もちろん、スパイス料理の発祥地はインドで間違いありません。でも、私たちが子どもの頃から慣れ親しんできた、あのとろ〜りとしたカレーライス。あれ、実はインドから直接やってきた料理じゃないんです。

この話を知ったとき、私は正直びっくりしました。「じゃあ、どこから来たの?」と調べてみたら、答えは意外にも「イギリス」。しかも、日本にカレーが広まった背景には、海軍の兵士たちがバタバタ倒れていくという、かなり切実な事情があったんです。

考えてみれば不思議ですよね。インド料理なのに、なぜイギリスを経由する必要があったのか。なぜ海軍がカレーを正式メニューに採用したのか。そして、あの「バーモントカレー」や「ボンカレー」は、どんな試行錯誤の末に生まれたのか。

この記事を読み終わるころには、今夜のカレーがちょっとだけ違う味に感じられるかもしれません。150年以上にわたる「日本カレーの大冒険」、一緒にたどってみませんか。

カレーライスは、インドで生まれたスパイス料理がイギリスを経由して日本に伝わり、独自の進化を遂げた料理です。日本のカレーライスがインドから直接伝わったのではなく、イギリス経由で伝来したという事実は、意外と知られていません。18世紀後半にイギリスで開発されたカレー粉が、イギリス海軍の食事として定着し、明治時代の日本海軍がこれを取り入れたことで、現在の日本式カレーライスの原型が完成しました。

現在、カレーライスはラーメンと並んで日本の「国民食」と称されるほどの地位を確立しています。小中学校の給食メニューの人気アンケートでは常に上位に挙げられ、世代を超えて愛され続けています。この記事では、カレーがインドからイギリスへ、そしてイギリスから日本へと伝わった歴史的経緯を詳しく解説し、日本独自のカレー文化がどのように発展してきたかを紐解いていきます。イギリス海軍との関係、日本海軍での脚気対策としての採用、戦後の固形ルウやレトルトカレーの開発まで、150年以上にわたるカレーライスの歴史を網羅的にお伝えします。

目次

カレーの起源とは|インドからイギリスへの伝播

カレーという料理の原型は、インド亜大陸で数千年にわたって発展してきたスパイス料理にあります。インドでは、ターメリック、クミン、コリアンダー、カルダモン、シナモン、クローブなど、数十種類のスパイスを料理ごとに調合して使用する伝統が古くから存在していました。これらのスパイスの組み合わせは「マサラ」と呼ばれ、地域や家庭によって異なる配合が受け継がれてきました。

興味深いことに、インドには「カレー」という単一の料理は存在しません。インド料理において「カレー」に相当する言葉は、タミル語の「カリ」(kari)に由来するとされ、これは「ソース」や「汁」を意味します。スパイスを使った煮込み料理全般を指す総称として、後にイギリス人によって「カレー」という概念が作られたのです。

イギリス東インド会社とカレーの出会い

1600年、イギリスは東インド会社を設立し、インド亜大陸との貿易を本格的に開始しました。当初は香辛料や織物の貿易が主目的でしたが、インドに駐在するイギリス人たちは現地の食文化にも触れることとなりました。当時イギリスが支配していたのは、インドの「ベンガル地方」が中心でした。この地方では米が主食であり、スパイスの効いた汁物をご飯にかけて食べるのが一般的でした。イギリス人はこの食べ方に魅了され、本国へ帰国する際にこの料理を持ち帰ろうと考えました。

しかし、インド料理のように何十種類ものスパイスを個別に調合することは、スパイスに不慣れなイギリス人にとって困難でした。そこで生まれたのが「カレー粉」という革新的なアイデアです。

カレー粉の誕生とイギリスでの発展

18世紀後半、イギリスでカレー粉が開発されました。これは複数のスパイスをあらかじめ調合して粉末状にしたもので、誰でも簡単にカレー風味の料理を作ることができるようになりました。カレー粉の商品化に大きく貢献したとされるのが、クロス・アンド・ブラックウェル社(C&B社)です。

同社は1706年にロンドンで「ジャクソンズ」として設立され、後に社名を変更した老舗食品会社でした。1819年にエドモンド・クロスとトーマス・ブラックウェルが見習いとして入社し、1830年に会社を買収して「クロス・アンド・ブラックウェル」と改称しました。同社は1837年にヴィクトリア女王から王室御用達(ロイヤル・ワラント)の認証を受けるなど、高い信頼を獲得していました。同社が販売したC&Bカレーパウダーは大評判となり、イギリスの家庭料理として「カレー」が広く普及するきっかけとなりました。1810年にはオックスフォード英語辞典に「カレーパウダー」の語が登場しています。

ただし、最近の研究では、カレー粉はインド在住のイギリス人主婦によって生み出され、東インド会社によって1770年代から市場に流通し始めたという説も提唱されています。C&B社がカレー粉製造に参入したのは1840年代で、国内産としても後発組であったという指摘もあります。

イギリス式カレーの特徴|とろみの秘密

イギリスに伝わったカレーは、本場インドのものとは異なる変化を遂げました。最も大きな違いは「とろみ」です。イギリスでは伝統的にシチューを好んで食べる習慣がありました。そこで、カレーにも小麦粉を加えてとろみをつけ、シチューに近い食感にアレンジされました。

また、イギリス海軍では、長期航海中にシチューを食べたいという船員たちの要望に応えるため、日持ちしない牛乳の代わりに香辛料を使ったカレー風味のシチューが考案されました。具材としては、肉(主に牛肉や鶏肉)、じゃがいも、にんじん、たまねぎといった、イギリスで一般的な食材が使われるようになりました。これがイギリス海軍の定番食として定着し、後に日本に伝わる「欧風カレー」の原型となったのです。

日本へのカレー伝来|幕末から明治初期

日本人がカレーという料理の存在を初めて知ったのは、幕末の開国期でした。日本で初めて「カレー」という言葉を紹介したとされる書物は、福沢諭吉の『増訂華英通語』(1860年、万延元年)です。福沢諭吉は1860年、咸臨丸に乗ってアメリカに渡った際、サンフランシスコで清国人が著した「華英通語」という英華対訳の単語集を購入しました。帰国後、これに英語の発音と日本語読みを片仮名でつけ、「増訂」の二字を冠して出版しました。この辞書の中で「Curry」は「コルリ」という読み方で紹介されていました。

ただし、大阪大学の田野村忠温氏の研究によれば、福沢はこの言葉がどのような料理を指すのか理解していなかった可能性が高いとされています。辞書には「Curry」の意訳が書かれていないことがその証拠とされています。

最初にカレーを実際に食べた日本人として記録されているのは、会津藩白虎隊の一員であった山川健次郎です。当時16歳だった山川は、1871年(明治4年)に渡米する際、船中食でカレーライスに接したとされています。しかし、当時の彼はカレーに馴染めず、ライスのみを食べていたという逸話が残っています。

日本最初のカレーレシピ『西洋料理指南』

日本でカレーの調理法が初めて記載されたのは、1872年(明治5年)に出版された敬学堂主人著『西洋料理指南』です。同年には仮名垣魯文の『西洋料理通』も刊行され、この2冊は題名に「西洋料理」の語を冠した最初の料理書としても知られています。

『西洋料理指南』に記載されたカレーのレシピは、現代のものとはかなり異なっていました。原文を現代語訳すると、ネギ一茎、ショウガ半個、ニンニク少しばかりを細末にして、バター大さじ1杯で炒め、水270mlを加え、鶏、海老、鯛、牡蠣、赤蛙等のものを入れて、よく煮た後、カレーの粉を小さじ1杯入れて煮るというものでした。1時間してよく煮込まれたら塩を加え、小麦粉大さじ2杯を水に溶いて入れるとされています。

このレシピの特徴的な点として、現代では定番のじゃがいも、にんじん、たまねぎが含まれていないことが挙げられます。これは当時、これらの野菜がまだ日本で一般的に栽培されていなかったためです。たまねぎの代わりにネギが使われているのも、同様の理由によります。また、具材に「赤蛙」が含まれているのは、英国人に仕えた中国の料理人が使用していたのではないかなど、諸説があります。当時のカレーは庶民が手軽に作れる料理ではなく、西洋の雰囲気を楽しむための読み物として受け止められていたと考えられています。

日本海軍とカレーライスの歴史|脚気対策としての採用

明治時代の日本海軍は、当時世界最強を誇ったイギリス海軍をモデルとして創設されました。軍事技術だけでなく、食事制度もイギリス式が取り入れられました。明治初期、日本海軍は深刻な問題を抱えていました。それは「脚気」による兵士の大量死です。

脚気はビタミンB1の欠乏によって起こる病気で、当時の日本では白米を主食としていたため、慢性的なビタミン不足に陥る兵士が続出していました。1878年(明治11年)の記録によると、海軍の総兵員数4,528名のうち、脚気患者は1,485名(32.79%)、死亡者は32名に達していました。1883年(明治16年)には、練習船「龍驤」で乗員376名のうち169名が脚気にかかり、25名が死亡するという悲惨な事態も発生しました。

高木兼寛の功績|「ビタミンの父」と呼ばれた軍医

この脚気問題の解決に尽力したのが、海軍軍医総監の高木兼寛(1849-1920)です。宮崎県出身の高木は、イギリスに留学した経験を持ち、西洋医学に精通していました。高木は、脚気患者の発生に軍艦や身分によって差があることに着目しました。イギリス海軍には脚気患者がほとんど出ないこと、日本でも身分によって患者数に違いがあることから、食事に原因があるのではないかという仮説を立てました。

1884年(明治17年)、高木は画期的な実験を行いました。脚気患者が多発した「龍驤」と同じルートを、軍艦「筑波」で9か月かけて航海し、乗組員にはタンパク質が豊富な洋食を主体とした食事を提供したのです。結果は劇的でした。「筑波」の乗組員330名のうち、脚気患者は20名以下に抑えられ、死者はゼロでした。この実験により、高木の仮説は実証されました。

カレーの日本海軍正式採用

高木はイギリス留学の経験を活かし、イギリス海軍で採用されていたカレー風味のシチューに着目しました。このメニューは「栄養豊富」「大量調理が容易」「美味」という三拍子が揃っており、海軍食として理想的でした。当初はイギリス軍と同様にパンと一緒に提供されていましたが、日本の兵士にはパンが不評でした。そこで、カレーに小麦粉を加えてとろみをつけ、ご飯にかけて食べられるようにアレンジされました。

さらに高木は、大麦を5割入れた麦飯を推奨しました。これにより、ビタミンB1を補給しつつ、日本人の口に合うカレーライスが完成したのです。1908年(明治41年)、海軍の公式レシピ集『海軍割烹術参考書』が舞鶴海兵団から発行され、「カレイライス」が正式に海軍食として採用されました。

海軍と陸軍の明暗|森鷗外との論争

興味深いことに、海軍と陸軍では脚気対策に大きな差がありました。海軍の「栄養説」に対し、陸軍の軍医総監であった森林太郎(森鷗外)は「伝染病説」を主張し、食事の改善を行いませんでした。

この論争の結果は悲惨でした。日清戦争における陸軍の脚気患者は34,783名、死亡者3,944名に達しました。日露戦争ではさらに深刻化し、患者211,600名、死亡者27,800名となりました。一方、海軍の患者は合計約40名、死者はわずか1名でした。高木は、脚気の真の原因がビタミンB1欠乏であることが判明する25年も前に、経験的に脚気の撲滅に成功していたのです。後に農学者・鈴木梅太郎が1910年(明治43年)に米ぬかから脚気予防の有効成分オリザニン(ビタミンB1)を抽出することに成功し、高木の功績が科学的にも裏付けられることとなりました。

カレーライスの大衆化と国民食への歴史

日本海軍でカレーライスが定着すると、徴兵期間を終えた兵士たちが郷里に戻り、軍隊で慣れ親しんだカレーの味を家庭で再現するようになりました。これがカレーライスが全国に広まる大きなきっかけとなりました。1873年(明治6年)には、陸軍幼年学校において土曜日の昼食に「ライスカレー」が導入されています。軍隊という組織を通じて、カレーは日本全国津々浦々に浸透していったのです。

国産カレー粉の開発|エスビー食品とハウス食品の誕生

明治時代、日本で消費されるカレー粉の多くはイギリスからの輸入品、特にC&B社のカレー粉でした。しかし、大正時代に入ると、国産カレー粉の開発が本格化しました。1923年(大正12年)には日賀志屋(現在のエスビー食品)が、1926年(大正15年)には浦上商店(現在のハウス食品)が、それぞれ国産カレー粉の販売を開始しました。

ハウス食品の前身である浦上商店は、1928年に「ハウス」というブランド名を採用しました。これは創業者・浦上靖の夫人が「日本には『ホーム』の概念はあらしまへん。『ハウス』だす」と助言したことがきっかけであったとされています。エスビー食品は1930年(昭和5年)に太陽と鳥を図案化した「ヒドリ印」を商標に採用し、1931年(昭和6年)に「太陽」(Sun)と「鳥」(Bird)から「S&B」を併記するようになりました。

固形カレールウの登場|家庭料理としての定着

カレーの大衆化に最も貢献したのは、固形カレールウの開発です。1945年(昭和20年)、オリエンタルが「即席カレー」を発売しました。1952年(昭和27年)にはベル食品が板チョコの形状をした固形「ベルカレールウ」を発売しました。1954年にはエスビー食品が「モナカカレー」を発売しました。これは餅米で作ったモナカの中にフレーク状のカレールウを詰めたユニークな商品でした。

昭和30年代半ば以降、固形カレールウはブームとなり、各社から新商品が次々と発売されました。1960年(昭和35年)にはハウス食品が「印度カレー」、江崎グリコが「グリコワンタッチカレー」を発売しています。

ロングセラー商品の誕生|バーモントカレーからゴールデンカレーまで

1963年、ハウス食品から「バーモントカレー」が発売されました。これは「カレーは辛い大人の食べ物」という従来の認識を覆し、「子供から大人まで家族みんなで美味しく」というコンセプトで開発されました。りんごとはちみつを加えたマイルドな味わいが受け、爆発的なヒット商品となりました。

1964年(昭和39年)にはエスビー食品から「エスビーカレー」が発売されました。「インド人もビックリ」というキャッチコピーは当時一世を風靡し、流行語にもなりました。1966年にはエスビー食品から「ゴールデンカレー」が発売されました。スパイスの風味を効かせた本格派のカレーとして、金色のパッケージで高級感を演出しました。1968年にはハウス食品から「ジャワカレー」が発売されました。「深い味わい、さわやかな辛さ」をキャッチコピーに、大人向けのカレーとして売り出されました。これらの商品は現在も販売が続いており、日本のカレー文化を支える定番商品となっています。

レトルトカレーの革命|ボンカレーの誕生と発展

カレーの歴史において、もう一つの革命的な出来事がレトルトカレーの開発です。1964年(昭和39年)、大塚グループは関西でカレー粉や即席固形カレーを製造販売していた会社を引き継ぎ、大塚食品を設立しました。当時、カレー市場はメーカー間の競争が激しく、「他社と同じものを作っても勝ち目はない」という危機感から、全く新しい商品の開発が模索されていました。

開発のヒントとなったのは、アメリカの軍用携帯食の技術でした。当時の大塚製薬徳島工場長がアメリカのパッケージ専門誌で見つけた記事には、缶詰に代わる軍用携帯食として、ソーセージを真空パックにした技術が紹介されていました。「一人前入りで、お湯で温めるだけで食べられるカレー、誰でも失敗しないカレー」を完成させるため、「常温で長期保存が可能であること」「保存料を使わないこと」という条件が設定されました。レトルトパウチ技術は、大塚グループで点滴液を高温処理で殺菌する技術の応用でした。袋に入れた食品を専用の釜で加圧しながら加熱殺菌するこの技術により、常温での長期保存が可能になりました。

ボンカレーの発売と苦難

1968年(昭和43年)2月12日、世界初の市販用レトルトカレーとして「ボンカレー」が阪神地区限定で発売されました。しかし、当初のボンカレーは半透明パウチを使用していたため、光と酸素によって風味が失われ、賞味期限は冬場で3か月、夏場で2か月に過ぎませんでした。さらに、当時外食の素うどんが50〜60円だった時代に、ボンカレーは1個80円という価格設定であり、「高すぎる」という反応が多かったのです。また、「長期保存できるのは防腐剤が入っているからではないか」という消費者の誤解も広がりました。

改良と成功|3分間待つのだぞ

包材メーカーとの協力により、ポリエチレン、アルミ箔、ポリエステルの3層構造パウチが開発されました。アルミ箔を用いることで光と酸素を遮断し、賞味期限は2年間に延長されました。1969年5月、改良版ボンカレーが全国発売となりました。

1972年には笑福亭仁鶴を起用したテレビコマーシャルが放送され、「3分間待つのだぞ」というセリフが流行語となりました。発売から5年後には年間販売数1億食を達成し、2018年時点での累計販売数量は約30億食に達しています。

特筆すべきは、大塚食品がレトルトパウチ技術の特許を取得しなかったことです。「レトルトパウチはすばらしい技術だから、これをもっと広めていかなければならない」という当時のトップの判断により、技術は他社にも開放されました。これにより、レトルト食品市場全体が発展することとなりました。2003年(平成15年)には、お湯で温めるのではなく電子レンジで箱ごと温められる「ボンカレー」も登場し、さらなる利便性の向上が図られています。

日本カレーとインドカレーの違い|歴史が生んだ二つの味

日本のカレーとインドのカレーは、同じ「カレー」という名称を持ちながら、実際には大きく異なる料理です。日本のカレーは、インド料理がイギリスで変容し、さらに日本で独自の発展を遂げたものです。一方、インドのカレーは数千年の歴史を持つ伝統料理であり、地域や家庭によって無数のバリエーションが存在します。

とろみと食感の違い

最も顕著な違いは「とろみ」です。日本のカレーは小麦粉を使ってとろみをつけるのが一般的で、これはイギリスでシチューに近いテクスチャーにアレンジされた名残です。一方、インドのカレーには基本的に小麦粉は使われません。そのため、ルーはさらりとしています。特に南インドのカレーは、ココナッツミルクやヨーグルトを使用したスープ状のものが多く、さっぱりとした味わいが特徴です。

スパイスの使い方の違い

日本ではカレー粉やカレールウという形で、あらかじめ調合されたスパイスを使用することが一般的です。家庭でカレーを作る際に個々のスパイスを調合することは稀です。対照的に、インドでは料理ごとにさまざまな種類のスパイスをブレンドして使用します。粉末のスパイスとホールスパイスを使い分け、唐辛子、ターメリック、クミンシード、シナモン、カルダモンなど数十種類のスパイスが料理に応じて調合されます。日本のカレーで主に使われるスパイスは「トウガラシ」「ターメリック」「クミンシード」の3つが基本とされています。ターメリックは日本のカレー独特の黄色い色を出すために欠かせません。

主食との組み合わせの違い

日本のカレーは、粘り気のある日本米(ジャポニカ米)と組み合わせて食べるのが一般的です。インドでは地域によって主食が異なります。北インドではチャパティやナンといったパン類が主食であり、カレーはこれらにつけて食べます。そのため、北インドのカレーはとろみが強く、濃厚な味わいのものが多いのです。南インドでは米が主食ですが、使用されるのは細長くパサパサしたインディカ米であり、サラサラとしたカレーと相性が良いとされています。

インド人に日本のカレーについて尋ねると、「味がついていないように感じる」「スパイスが効いていないから全然辛くない」という感想が多いとされています。インドでは数十種類ものスパイスを食材に適した調理法で使用するため、日本のカレーは物足りなく感じられるようです。しかし、これは優劣の問題ではなく、それぞれの食文化の違いを反映したものです。日本のカレーは、日本人の味覚に合わせて独自に発展した料理であり、インドカレーとは異なる魅力を持っています。

現代の日本カレー文化|国民食としての地位

現代の日本において、カレーライスはラーメンと並んで「国民食」と呼ばれています。小中学校の給食メニューの人気アンケートでは常に上位に挙げられ、世代を超えて愛されています。

カレーが国民食となった理由として、まず、カレーには甘さ、しょっぱさ、酸っぱさ、苦さ、うま味の「五味」がすべて含まれていることが挙げられます。この複雑な味わいが日本人の味覚を満足させます。次に、アレンジのしやすさがあります。カレーは具材や辛さを自由に変えられるため、家庭ごとに「我が家の味」を作り出すことができます。この柔軟性が日本人の国民性にマッチしたとされています。さらに、学校給食での普及も大きな要因です。1982年(昭和57年)、全国学校栄養士協議会が学校給食週間に合わせて全国の学校給食でカレーを提供することを呼びかけ、1月22日が「カレーの日」に制定されました。

カレールウ市場の現状

2004年(平成16年)度のカレールウの国内出荷額は約676億円で、市場シェアはハウス食品が約61%、エスビー食品が約28%、江崎グリコが約10%と推計されており、大手3社による寡占市場となっています。

よこすか海軍カレー|歴史を受け継ぐご当地グルメ

1999年(平成11年)、神奈川県横須賀市は「カレーの街宣言」を行い、「よこすか海軍カレー」を新たな名物として売り出すこととなりました。これは1908年の『海軍割烹術参考書』に記載されたレシピを忠実に再現したもので、2001年に商標登録されました。よこすか海軍カレーは原則として横須賀市内でのみ提供されるご当地グルメであり、サラダと牛乳が必ずセットになっているのが特徴です。現在、市内の40以上の店舗で提供されており、「よこすかカレーフェスティバル」などのイベントも開催されています。

海上自衛隊の金曜カレー

現在の海上自衛隊では、毎週金曜日の昼食にカレーライスを食べる習慣があります。これは長期の海上勤務中に曜日感覚を失わないためとされています。元統合幕僚長の河野克俊によると、「海上自衛隊ではもともと土曜の昼食がカレーであった。土曜の午後は休みになるため昼食の調理を簡単に済ませる必要があり、カレーがその条件に合っていた。その後、土曜が休日になったので、金曜昼食のメニューとなった」とのことです。各艦艇では独自のカレーレシピが開発されており、「護衛艦カレー」として話題を集めています。海上自衛隊の公式サイトでは各艦艇のカレーレシピが公開されており、家庭でも再現することができます。

カレーライスの多様化と未来|進化し続ける日本の味

現代の日本では、伝統的な欧風カレーだけでなく、さまざまなタイプのカレーが楽しまれています。インド料理店の増加により、本格的なインドカレーやネパールカレーも身近になりました。タイカレー(グリーンカレー、レッドカレーなど)も人気を博しています。

また、「スパイスカレー」と呼ばれるジャンルも台頭しています。これは小麦粉を使わず、スパイスを中心に調理するカレーで、大阪を中心に全国に広がっています。ドライカレー、キーマカレー、カツカレー、カレーうどん、カレーパンなど、カレーを応用した料理も数多く存在し、日本の食文化を豊かにしています。

健康志向とカレーの関係

近年の健康志向の高まりを受けて、低カロリーカレーや野菜たっぷりのカレー、植物性原料のみで作るヴィーガンカレーなども登場しています。スパイスの健康効果にも注目が集まっています。ターメリックに含まれるクルクミンには抗酸化作用があるとされ、クミンには消化促進効果があるといわれています。カレーを食べることで自然にさまざまなスパイスを摂取できることから、健康食としての側面も評価されています。

カレーライスは、インドで生まれたスパイス料理が、イギリスを経由して日本に伝わり、独自の進化を遂げた料理です。イギリス海軍でシチュー風にアレンジされ、日本海軍で脚気対策として採用され、戦後は固形ルウやレトルトカレーの開発により家庭料理として定着しました。この150年あまりの歴史の中で、カレーライスは日本人の生活に深く根付き、国民食としての地位を確立しました。それは単なる外来料理の模倣ではなく、日本人の味覚と生活様式に合わせて独自に発展した、まさに「日本の料理」です。福沢諭吉が「コルリ」として紹介した時には想像もできなかったであろうが、今や日本人にとってカレーは欠かすことのできない存在となっています。インドからイギリスへ、イギリスから日本へという伝播の歴史は、食文化がどのように国境を越え、それぞれの土地で新たな形を獲得していくかを示す興味深い事例です。これからも日本のカレー文化は、時代とともに変化し続けるでしょう。しかし、その根底にある「おいしいものを食べたい」「家族で食卓を囲みたい」という普遍的な願いは、変わることなく受け継がれていくに違いありません。

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