ドーナツの穴がある理由とは?発明の歴史と意外な真実を解説

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ドーナツの穴がある理由は、生地の中心部まで均一に火を通すための工夫として生まれました。揚げ物特有の「外側は焦げて中は生焼け」という難題を解決するために、19世紀半ばのアメリカで穴あきのリング型が考案されたとされています。発明者として最も有名なのはアメリカの船乗りハンソン・グレゴリーで、1847年にブリキ製の胡椒入れで生地の中心をくり抜いたという逸話が今も語り継がれています。

ドーナツの起源は16〜17世紀のオランダにまでさかのぼり、移民によってアメリカへ伝わったあと、長い時間をかけて現在のリング型へと進化しました。本記事では、ドーナツの穴が生まれた理由と発明の歴史、語源の由来、世界的な普及の経緯、日本への伝来、そして現代に至るまでの文化的な広がりまでを、信頼できる情報をもとに体系的に解説します。何気なく手にしているドーナツの一つひとつに、知られざる長い歩みが宿っていることを実感していただけるはずです。

目次

ドーナツの穴がある理由とは何か

ドーナツの穴がある理由は、ひとことで言えば「中心まで均一に揚げるため」です。揚げ油は外側から熱を伝えるため、生地が厚いと中心部に熱が届かず、外側を焦がさない限り中は生焼けのまま残ってしまいます。穴を開けることで内側にも油が触れ、表面積が大きくなって熱が均一に伝わるようになりました。

これに加えて、穴の存在は食べやすさや経済性、見た目のシンボル性など多面的な利点をもたらしています。指でつかんでも形が崩れにくく、生地の使用量を抑えられ、独特のシルエットは世界中で一目でドーナツとわかるアイコンになっています。穴は装飾ではなく、調理科学と実用性の両面に裏付けられた合理的なデザインなのです。

ドーナツの起源はオランダの揚げ菓子オリークック

ドーナツの直接の祖先は、16〜17世紀のオランダで親しまれていた「オリークック(oliekoek)」や「オリーボル(Oliebol)」と呼ばれるボール状の揚げ菓子です。「オリークック」はオランダ語で「油のケーキ」を意味し、小麦粉、砂糖、卵で作った発酵生地を熱した油で揚げ、上にクルミを飾ったり、中にクルミを入れたりして食べられていました。祭典や祝祭の場で振る舞われる伝統菓子として、当時の人々の暮らしに深く根づいていたものです。

最も古いレシピの記録として知られているのが、1667年に記されたオランダのレシピ本『De sensige kock』です。この書物にはオリークックの作り方が記載されており、少なくとも17世紀には文献に残るほど広く親しまれていたことがわかります。当時のオランダは交易と航海で繁栄しており、油を惜しみなく使った揚げ菓子は富と祝祭の象徴でもありました。

このオランダの揚げ菓子が大西洋を渡ってアメリカへ伝わったのは18世紀初頭のことです。オランダ系の移民たちが現在のニューヨーク(当時のニューアムステルダム)に持ち込み、現地で「オリーケーキ(oil cake)」「オリコーク(olykoek)」として親しまれるようになりました。この段階のドーナツはまだボール状であり、現在のような穴あきリング型ではありませんでした。

「ドーナツ」という名前の由来と語源

「ドーナツ(doughnut)」という名前の由来は、英語の「dough(ドウ=生地)」と「nut(ナット=木の実)」を組み合わせた言葉だとする説が最も有力です。オランダの揚げ菓子には上にクルミ(ナッツ)を乗せたり、生地の中にクルミを仕込んだりすることが多く、その特徴がそのまま名前として定着したとされています。

別の説として、揚げた生地が小さな木の実のように丸い形だったことからこの名称が付けられたという解釈もあります。形状由来の説と材料由来の説のどちらも筋が通っており、研究者の間でも明確な決着はついていません。いずれの場合も、「doughnut」という英語表記が広く定着したのは、オランダからアメリカへ揚げ菓子の文化が伝わったあとのことです。

英語の表記には「doughnut」と「donut」の二種類があり、「donut」はより現代的で簡略化された綴りとして広まりました。アメリカの大手ドーナツチェーン「ダンキンドーナツ(Dunkin’ Donuts)」のブランド表記が、この簡略形を世界的に広めた要因の一つとされています。日本では「ドーナツ」と「ドーナッツ」の両方の表記が混在していますが、現在では「ドーナツ」が一般的です。

穴のないドーナツが抱えていた最大の問題点

穴がなかった時代のドーナツが抱えていた最大の問題は、中心部の生焼けでした。リング型が誕生する前のドーナツはボール状あるいはねじった形をしており、揚げ油の熱が外側からしか伝わらないため、見た目はこんがりと色づいても中心部に火が通っていないという事態がしばしば起きていたのです。

揚げ物の科学を考えると、この悩みは必然でした。外側は高温の油に直接触れて短時間でメイラード反応を起こし、香ばしい色と香りをまといます。一方で、生地の中心は油から最も遠く、伝導熱だけに頼って加熱されるため、外側の温度が180度近くに達しても、中心はまだ100度に届かないという状態が続きます。中まで火を通そうと長く揚げれば外側が焦げ、外側に合わせれば中が生焼けという、根本的なジレンマがあったのです。

当時の職人たちは、生地の内側にクルミや砂糖を詰めて熱の通りにくさをごまかしたり、生地を細長くねじって厚みを減らしたりといった工夫を重ねていました。しかし、ねじり型は油を多く吸って脂っこくなり、詰め物では生焼け問題そのものは解消されません。揚げ物の素材として「分厚い丸い生地」をそのまま使う以上、解決は困難だったのです。

この長年の悩みを根本から解消した発想が、「生地の中心に穴を開ける」というシンプルな工夫でした。穴を開ければ、生地の内側にも油が触れる面が生まれ、熱が両面から伝わって均一に火が通ります。表面積が増えることで揚げ時間も短くなり、外側を焦がさずに中までふっくらと仕上げられるようになったのです。

ドーナツに穴を発明したハンソン・グレゴリーの逸話

ドーナツに穴を開けた発明者として最も広く知られているのが、アメリカの船乗りハンソン・グレゴリー(Hanson Crockett Gregory)です。彼は1832年にアメリカのメイン州ロックポートで生まれ、海の男として生きた人物として記録されています。

グレゴリーが後に語った話によると、1847年、彼が16歳のころのことだったといいます。当時、石灰の貿易船に乗り込んでいた彼は、母親が作った丸いドーナツの中心部分が生焼けになることに不満を持っていました。さらに、ねじった形のドーナツは油が多く染み込んで脂っこいという問題もあり、海上での食事として理想的ではないと感じていたのです。

そこで彼は、船に積まれていたブリキ製の胡椒入れ(ペッパーシェーカー)を使って、ドーナツの生地の中心をくり抜いてみたとされています。穴を開けた状態で油で揚げてみると、見事に中まで均一に火が通り、長年悩まされてきた問題が解決しました。陸に戻ったグレゴリーはこのアイデアを母親に伝え、やがて周囲の人々の間でリング型のドーナツが広まっていったと伝えられています。

この逸話には別バージョンも存在し、グレゴリーが操舵輪(舵)にドーナツを突き刺して食べていたという話も残っています。「航海中に手を使わずに食べられるよう、舵のスポークに刺して食べていた」という説で、リング型ドーナツの実用的な起源として語られることもあります。荒れた海で両手を舵から離せない場面でも、ドーナツを舵に差し込んでおけば片手で取って食べられた、という海の男ならではの逸話です。

グレゴリーの功績を称え、彼の出身地であるメイン州ロックポートには記念碑が建てられており、「リング型ドーナツの発明者」として今も地元で讃えられています。発明から180年近くが経過した現在も、地元の歴史的偉人として彼の名は語り継がれているのです。

ドーナツの穴の起源にまつわる複数の説

ハンソン・グレゴリーの発明話は有名ですが、ドーナツの穴の起源については他にもいくつかの説が存在します。歴史を正確に理解するためには、複数の説を並べて検討する視点が欠かせません。

一つ目はクルミ入手困難説です。ドーナツの元祖であるオランダの揚げ菓子には中心にクルミが入っていましたが、アメリカに伝わった後、地域や時代によってはクルミが手に入りにくい状況が生まれました。そこで、クルミを入れる代わりに中心部を穴にしたという解釈で、もともと中心に何かを置く文化があったことを踏まえると、自然な進化として理解できます。

二つ目は生地節約説です。穴を開けることで使う生地の量が減り、材料費を節約できるという実用的な観点からの説で、商業的にドーナツを作るパン屋や菓子職人にとって、コスト削減は重要な課題でした。同じ材料費でより多くの個数を作れるなら、利益率の改善に直結します。19世紀のアメリカで商業ベーカリーが拡大していった時期と重なり、説得力のある見方となっています。

三つ目は火通りの均一化説です。これは前述したとおり、穴を開けることで油が生地の内側にも行き渡り、均一に揚げることができるというものです。現代の料理科学的な観点からも、この説は最も論理的に説得力があるとされています。実際に同じ生地を同じ時間だけ揚げる比較実験を行うと、穴あきのドーナツは中心まで火が通っているのに対し、穴なしのドーナツは中心部分が生焼けになることが確認されています。

グレゴリーの発明話については、特許を取得したわけでも公式な記録が残っているわけでもなく、あくまで本人の後年の証言に基づくものです。歴史家の中には懐疑的な見方をする人もおり、「ドーナツに卵を加えたパン屋が考案した」という別の説を支持する向きもあります。いずれにせよ、19世紀中ごろにリング型ドーナツがアメリカで定着していったことは確かであり、複数の必要性が同時に交わって今日のかたちが生まれたと考えるのが自然です。

これらの説を整理すると、次の表のようになります。

説の名称主な内容補足
火通り均一化説中心部の生焼けを防ぐために穴を開けた料理科学的に最も合理性が高い
クルミ入手困難説クルミの代用として中心を穴にしたオランダ起源の伝統との連続性がある
生地節約説材料費削減のために生地量を減らした商業ベーカリーの拡大期と整合的
グレゴリー発明説1847年に船上で胡椒入れを使い穴を開けた本人の証言に基づき、公式記録はない

ドーナツの普及と産業化の歴史

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ドーナツはアメリカ全土に広まっていきました。その普及を大きく後押ししたのが、第一次世界大戦(1914〜1918年)です。

この戦争中、アメリカの赤十字社やその他の支援団体が前線の兵士たちにドーナツを提供しました。「ドーナツ・ガール」と呼ばれる女性ボランティアたちが戦場近くのテントでドーナツを揚げ、兵士たちに配ったのです。戦場でのドーナツは兵士たちの士気を高め、故郷の味を思い出させる存在として大いに喜ばれました。戦争が終わり帰還した兵士たちがドーナツへの愛着を持ち帰ったことで、アメリカ全国でドーナツ人気がさらに高まったとされています。

1920年代には、ドーナツを機械で大量生産する技術が登場しました。1920年、ニューヨークのベーカリーで初の自動ドーナツ製造機が稼働し、手作業で一つひとつ成形していた工程が機械化されました。これにより、ドーナツの生産速度と品質の均一化が一気に進み、安価に大量供給できるようになったのです。製造機の登場は、ドーナツが「家庭の素朴な揚げ菓子」から「都市の量産スイーツ」へと姿を変える決定的な転機となりました。

この機械化の波に乗り、ドーナツはアメリカを代表する大衆食の一つとして確固たる地位を築いていきました。1930年代の世界恐慌時代には、安くてカロリーの高いドーナツが庶民の食べ物として重宝され、消費はさらに拡大しました。少ない予算で空腹を満たせる食品として、ドーナツは厳しい時代の人々の生活を支えた存在でもあったのです。

その後、1950年代にはダンキンドーナツ(現ダンキン)が創業し、フランチャイズ展開によってドーナツチェーンの時代が到来しました。1963年にはクリスピー・クリームが法人化するなど、大手ドーナツチェーンが次々と誕生・成長していきました。フランチャイズシステムの普及は、均一な品質のドーナツを全国どこでも食べられるという食体験を生み出し、ドーナツを「アメリカ的な日常」の象徴へと押し上げる原動力となりました。

ドーナツガールとナショナル・ドーナツ・デーの歴史

第一次世界大戦中、ドーナツを兵士に届けた「ドーナツガール」たちの活動は、ドーナツの歴史を語るうえで欠かせないエピソードです。この物語があったからこそ、ドーナツは単なるお菓子を超えて文化的な象徴となりました。

1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、救世軍(Salvation Army)という慈善・宗教団体がヨーロッパの前線に赴きました。救世軍の女性メンバーたちは、過酷な戦場環境の中で疲弊した兵士たちを慰問するため、現地でドーナツを作って提供するというアイデアを思いつきます。簡素な材料で短時間に大量に作れ、手軽に食べられるドーナツは、戦場という極限環境において理想的な慰問食でした。

このアイデアを実行に移したのが、少尉のマーガレット・シェルドンと副官のヘレン・パーヴィアンスの2人です。彼女たちは前線近くのテントの中で、ヘルメットを鍋代わりにしてドーナツを揚げ、砲声が響く中で兵士たちに温かいドーナツとコーヒーを手渡しました。この姿は「ドーナツガール(Doughnut Girl)」あるいは「ドーナツ・ラッシー(Doughnut Lassie)」と呼ばれ、大きな話題となりました。

兵士たちにとって、戦場で食べる手作りのドーナツは故郷の味そのもので、極限の精神状態の中での大きな慰めとなったと伝えられています。この活動は前線全体に広まり、多くの支援団体が追随する形でドーナツの配布を行うようになりました。ドーナツは「家庭の温もり」「祖国とのつながり」を象徴する食べ物として、戦場で特別な意味を持つことになったのです。

この歴史を称えて、救世軍は1938年にアメリカで「ナショナル・ドーナツ・デー(National Doughnut Day)」を制定しました。毎年6月の第1金曜日に設定されており、第一次世界大戦中に兵士たちにドーナツを届けたドーナツガールたちへの感謝と追悼の意味が込められています。また、この日を通じて救世軍の慈善活動への支援を募る目的もありました。

現在もナショナル・ドーナツ・デーはアメリカで広く認知された記念日となっており、多くのドーナツチェーンがこの日に無料配布やキャンペーンを実施しています。ドーナツが単なるお菓子を超えて、歴史と感謝の文化的シンボルとなっていることがよくわかる事例です。

ドーナツの日本への伝来と歴史的歩み

ドーナツが日本に伝わった記録として残る最初の事例は、1914年(大正3年)に上野公園で開催された「東京大正博覧会」にさかのぼります。この博覧会でドーナツの実演販売が行われたという記録が存在しており、これが日本におけるドーナツとの最初の本格的な接触とされています。文明開化の延長線上で西洋の文化が次々と紹介された時代背景を考えると、ドーナツも数多くの「ハイカラな食べ物」の一つとして注目を集めたと考えられます。

また、大日本帝国陸軍においても、1932年(昭和7年)刊行の「軍隊調理法」という文書に、間食(加給品)としてのドーナツの製法が記載されていたことが確認されています。これは軍用の食事マニュアルにドーナツが組み込まれていたことを意味しており、少なくとも昭和初期にはドーナツの存在と作り方が日本でも知られていたことを示しています。砂糖や小麦粉、油といった材料が比較的調達しやすかったことも、軍隊調理法に採用された理由の一つと考えられます。

しかし、当時のドーナツはまだごく一部の人々に知られた「外国の珍しい食べ物」に過ぎず、日本社会に広く普及するには至っていませんでした。家庭で気軽に作れる菓子というよりも、洋食文化の象徴として一部の都市住民に認知されている程度であり、街角で手軽に買って食べるという日常的な存在になるには、もうしばらく時間が必要でした。

ドーナツが日本の食文化に根付くようになったのは、戦後の高度経済成長期を経て、外食産業が発展し始めた1970年代以降のことです。生活水準の向上、洋風スイーツへの関心の高まり、そして大型ショッピングセンターの登場といった社会の変化が、ドーナツが日本に定着する土壌を作り上げました。

ミスタードーナツの日本上陸が文化を変えた

日本のドーナツの歴史を語る上で欠かせないのが「ミスタードーナツ」の日本進出です。これが日本のドーナツ文化を大きく変えた出来事でした。

ミスタードーナツはアメリカ発のドーナツチェーンで、1956年にマサチューセッツ州ボストンで創業されました。日本へはダスキンという清掃用品・サービス会社が持ち込みます。ダスキンの創業者である鈴木清一氏は、アメリカのフランチャイズビジネスに可能性を感じ、1970年1月にミスタードーナツ・オブ・アメリカ(MDA)社と事業提携契約を締結しました。清掃業の会社がドーナツ事業に乗り出すという意外な組み合わせは、当時としても話題を呼んだ大胆な挑戦でした。

そして1971年4月、大阪府箕面市に日本第1号店がオープンします。この記念すべき1号店「箕面ショップ」は、オープン初日だけで約4000個ものドーナツを売り上げたと伝えられており、日本人のドーナツへの需要がいかに大きかったかを物語っています。当時の日本ではまだ珍しかった「アメリカ的なドーナツ専門店」の登場は、瞬く間に評判となり、洋風スイーツの新しい潮流を生み出しました。

その後、ミスタードーナツは日本全国に店舗を拡大し、1983年にはアジア圏におけるミスタードーナツの商標権および販売権を取得しました。日本のミスタードーナツはケンタッキーフライドチキンやマクドナルドと並ぶ、日本最大級のファストフード・ドーナツチェーンへと成長していきました。

ミスタードーナツが日本に持ち込んだものは、単にドーナツというメニューだけではありません。「オールドファッション」「ポン・デ・リング」「フレンチクルーラー」といった定番メニューや、コーヒーとセットで楽しむ文化、そして「気軽に立ち寄れる休憩スペース」としてのドーナツ店のスタイルが日本の食文化に定着していきました。学校帰りの子どもから仕事帰りの大人まで、世代を超えて利用できる場所として、ミスタードーナツの存在は日本の生活風景の一部となったのです。

ドーナツの種類と現代の多様化

穴のあるリング型ドーナツが定番となっていますが、現代のドーナツにはさまざまな種類が存在します。大きく分類すると「イーストドーナツ」と「ケーキドーナツ」の二種類があり、それぞれ膨らみ方や食感に明確な違いがあります。

イーストドーナツはイースト菌(酵母)を使って発酵させた生地を揚げたもので、軽くふわっとした食感が特徴です。リング型のほか、「クリームドーナツ」「ジャムドーナツ」のように中にクリームやジャムを詰めた丸型のものもこちらに分類されます。発酵に時間を要するため手間はかかりますが、もっちりとした弾力と発酵由来の風味は他では出せない魅力です。

ケーキドーナツはベーキングパウダーを使って膨らませた生地を揚げたもので、よりずっしりとした食感で、香ばしさが特徴です。「オールドファッション」がこのタイプの代表例で、揚げたときに表面に独特のひび割れが生じるのも見どころです。発酵が不要なため短時間で作れるという利点があり、家庭でも比較的取り組みやすい種類といえます。

両者の違いを整理すると、次の表のとおりです。

種類膨張剤食感代表例
イーストドーナツ酵母(イースト菌)軽くふわっと、もちもちポン・デ・リング、クリームドーナツ
ケーキドーナツベーキングパウダーずっしり、香ばしいオールドファッション
シュー生地系卵と水分の蒸気外さっくり、中ふんわりフレンチクルーラー

揚げずにオーブンで焼いた「ベイクドドーナツ」も近年人気を集めています。油を使わないためカロリーが抑えられ、健康志向の人々に好まれています。さらに、穴のない「ドーナツホール」(穴あきドーナツを作った際にくり抜いた中心部分を揚げたもの)や、クロワッサンとドーナツを組み合わせた「クロナッツ」など、ユニークなバリエーションも次々と登場しており、ドーナツの世界は今もなお広がり続けています。

ドーナツが膨らむ仕組みの違い

ドーナツの種類によって、膨らみ方のメカニズムが異なります。これを理解するとドーナツの多様性がより深く味わえます。

イーストドーナツは酵母(イースト菌)の力を利用して膨らみます。イースト菌が糖分を分解して炭酸ガスを発生させ、その気泡が生地の中に閉じ込められることで、ふわふわとした軽い食感が生まれます。発酵に時間がかかるため手間はかかりますが、噛んだときのもちもちとした食感と発酵由来の風味が特徴です。ミスタードーナツの代表作「ポン・デ・リング」はこのタイプにあたります。

ケーキドーナツはベーキングパウダー(重曹を含む化学膨張剤)の力で膨らみます。ベーキングパウダーが水分や熱と反応して二酸化炭素を発生させることで生地が膨らみます。発酵が不要なため短時間で作れるのが特徴で、ずっしりとした食感と香ばしい風味が生まれます。「オールドファッション」がその代表例で、揚げたときに表面に独特のひび割れが生じるのも特徴的です。このひびは、意図的につまようじなどで筋を入れて作ることもあります。

フレンチクルーラーは、シュークリームと同じシュー生地(パータ・シュー)を使ったドーナツです。水とバター、砂糖などを鍋に入れて沸騰させ、小麦粉を加えて練り、火からおろしてから卵を加えます。このシュー生地を揚げると、生地に含まれる水分が蒸発することで内部に空洞が生まれ、外はさっくり、中はふんわりとした独特の食感が生まれます。卵のコクと軽い口当たりが特徴で、ミスタードーナツでも人気の高い商品です。

このように、同じ「ドーナツ」でも生地の種類や膨らみの仕組みが全く異なるため、食感や風味に大きな差があります。好みに応じてイースト系か、ケーキ系か、フレンチクルーラー系かを選び分けるのも、ドーナツを楽しむ醍醐味の一つです。

世界各地のドーナツに似た揚げ菓子の文化

ドーナツ的な揚げ菓子は、実はアメリカやオランダだけに存在するわけではなく、世界各地の文化圏に独自の揚げ菓子が存在しています。古代エジプトにまでさかのぼるとも言われる揚げ菓子の文化が、交易や移民を通じてさまざまな形で各地に広まり、現地の食材や嗜好と融合して独自の発展を遂げてきたのです。

ドイツの「ベルリーナー(Berliner)」は、甘いイースト入りパン生地を油で揚げ、中にマーマレードやジャム、あるいはチョコレートクリームを詰めたものです。外側は砂糖をまぶすかアイシングで仕上げます。日本でもベーカリーやカフェで見かけることがあります。ドイツでは特にカーニバルの季節に欠かせない伝統的なお菓子として親しまれており、地域によって「クラップフェン(Krapfen)」や「ファスナハツクラップフェン」といった呼び名で親しまれています。

フランスの「ベニエ(Beignet)」は、シュー生地や発酵生地を油で揚げたもので、フルーツや野菜を生地に包んで揚げることもあります。カーニバルの季節に食べられる伝統的な揚げ菓子で、アメリカのニューオーリンズにもフランス文化の影響でベニエが根付いており、現地の名物となっています。フレンチ・クォーターの老舗カフェではベニエとカフェオレのセットが定番として愛され続けています。

オランダの「オリーボル(Oliebol)」はまさにドーナツの元祖とも言える存在で、発酵生地にレーズンやカシスを混ぜてボール状に揚げたものです。オランダでは大みそかや新年の季節に食べる伝統的なお菓子として今日でも親しまれており、年末になると街角の屋台で大量に売られる光景が見られます。

ポーランドの「ポンチキ(Pączki)」は、豊かな生地でできた揚げ菓子で、中にジャムやクリームを詰め、外側をアイシングや砂糖でコーティングしたものです。カーニバルの季節に大量に消費される伝統的なお菓子で、特に「脂の木曜日(Tłusty Czwartek)」と呼ばれる日には全国で一斉に消費されることで知られています。

このように世界各地で独自の揚げ菓子が育まれてきた背景には、「小麦粉の生地を油で揚げる」という調理法のシンプルさと汎用性があります。油さえあれば比較的簡単に作れる揚げ菓子は、祭典や祝祭の場で大量に振る舞うのに適しており、世界中で「特別な日のお菓子」として根付いてきたのです。

ドーナツの穴に関するよくある疑問

ドーナツの穴については、好奇心をくすぐる疑問がたくさん寄せられます。ここでは代表的な問いに対して、ここまでの歴史と科学を踏まえて答えていきます。

ドーナツの穴は誰がいつ発明したのか、という問いに対しては、最も広く知られている答えはアメリカの船乗りハンソン・グレゴリーが1847年に発明したという説です。ただしこれは本人の後年の証言に基づく逸話で、特許や公的な記録は残っていません。19世紀半ばのアメリカで複数の要因が重なり、リング型が定着していったというのが歴史的な実情に近いと考えられます。

ドーナツの穴は本当に火通りのためだけにあるのか、という問いについては、火通りが最も合理的な理由である一方で、生地の節約、クルミの代用、食べやすさ、見た目のインパクトといった複数の要因が複合的に作用してきた結果と考えられます。一つの理由に絞り切れないところに、長い歴史を経た食文化らしい奥行きがあります。

穴のないドーナツは存在するのか、という問いには、もちろん存在しますと答えられます。クリームドーナツやジャムドーナツのように中に詰め物をするタイプは穴を作らない丸型が一般的ですし、ドイツのベルリーナー、ポーランドのポンチキ、オランダのオリーボルなど、世界の伝統的な揚げ菓子は穴のないボール状が主流です。穴あきのリング型はあくまでアメリカで発達した形態の一つに過ぎません。

ドーナツの穴をくり抜いた生地はどうなっているのか、という疑問もよく聞かれます。多くの場合は「ドーナツホール」として小さな球状に成形して揚げ、独立した商品として販売されています。一口サイズで食べやすく、ドーナツ本体の引き立て役としても人気があります。家庭で作る場合も、くり抜いた部分を捨てずに揚げれば、無駄なくおいしく楽しめます。

家庭で作るドーナツと穴の作り方

ドーナツの穴は専用の型がなくても家庭で作ることができます。外側の円形を抜くにはお椀を代用し、内側の穴はペットボトルのキャップを押し当てる方法が一般的です。サイズの異なる丸い道具を二つ用意すれば、誰でも本格的なリング型を成形できます。

別の方法として、生地を丸めてから指を差し込み、くるくると回して穴を広げる手法もあります。職人がよく使う方法で、穴の大きさを自由に調整できるのが利点です。揚げるときは生地が膨らんで穴が閉じやすいため、菜箸を穴に通してゆっくり回しながら揚げると穴が保たれます。

くり抜いた小さな生地のかけらも一緒に揚げれば「ドーナツホール」として楽しめ、無駄なく食べられます。家庭で作るときは、油の温度を170〜180度に保ち、焦らずに両面をじっくり揚げるのが失敗しないコツです。揚げたてに粉砂糖やシナモンシュガーをまぶせば、専門店に負けない一品が完成します。

ドーナツ文化の現在と多様な広がり

ドーナツは世界中で親しまれるスイーツの代表格となっています。発祥から数百年を経た今日もなお、その人気は衰えることなく世代を超えて受け継がれています。アメリカではダンキンやクリスピー・クリームなどの大手チェーンが全国展開しており、日本でもミスタードーナツを筆頭に、各地のクラフトドーナツ専門店が注目を集めています。

日本では特に2010年代以降、個人経営の小規模なドーナツ専門店が急増しました。米粉や豆腐を使ったヘルシー系ドーナツ、天然酵母を使ったクラフト系ドーナツ、ビーガン対応のドーナツなど、多様な需要に応えるバリエーションが登場しています。素材や製法へのこだわりが強い小規模店の活躍は、ドーナツが「画一的な量産スイーツ」だけではないことを示しています。

SNSの普及によって見た目が美しいドーナツが「映えスイーツ」として話題になることも増え、デコレーションや創作性の高いドーナツが生まれています。カラフルなグレーズ(砂糖衣)や、エディブルフラワー(食用花)を飾ったドーナツなど、芸術的な作品が並ぶ店舗も人気を博しています。視覚的な楽しみが消費行動を強く後押しする現代において、ドーナツの丸い穴あきデザインは絶好の撮影被写体としても機能しているのです。

コンビニエンスストアでもドーナツが販売されるようになり、セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマートなど大手コンビニがドーナツ販売に乗り出したことで、より身近な存在になりました。ただし各社の販売形態は時期によって変遷しており、レジ横で売る形式から個包装のチルド菓子へと姿を変えるなど、販売スタイルそのものが時代に合わせて変化を続けています。

ドーナツの穴という発明が示すもの

ドーナツの穴を改めて振り返ってみると、非常に合理的なデザインであることがわかります。

揚げやすさという観点では、穴があることで生地の内側と外側が均一に揚がり、焦げや生焼けを防ぐことができます。これは現代の料理科学的な観点からも実証されており、リング型ドーナツは最も効率よく均一に揚げられる形状の一つです。食べやすさという観点では、穴があることでドーナツを指でつかみやすくなります。丸型のドーナツは指でつかむと形が崩れやすいのに対し、リング型はしっかりと持ちやすく、食べている間も安定しています。

見た目のインパクトという点でも、穴のある独特のシルエットはドーナツのアイコニックなデザインとして世界中に認識されており、ブランドとしての価値にもつながっています。さらに経済性という面では、生地の使用量を減らすことができるため、同じ量の材料でより多くのドーナツを作ることが可能です。商業的な観点からも、穴あきデザインは理にかなっています。

ドーナツの穴は、おそらくは複数の理由が重なり合って生まれ、そして広まっていったものと考えられます。ハンソン・グレゴリーの発明話が真実かどうかはともかく、穴のあるリング型のドーナツが「最も合理的な形」として自然に定着していったことは間違いないでしょう。一見ささやかな工夫が世界中の食文化を変えた事例として、ドーナツの穴は食の歴史の中でも特筆すべき発明だといえます。

まとめ:ドーナツの穴の理由と発明の歴史

ドーナツの穴の歴史を振り返ると、シンプルな疑問の裏に豊かな文化的背景があることがわかります。16〜17世紀のオランダで生まれた揚げ菓子「オリークック」が、移民によってアメリカへと渡り、「ドーナツ(doughnut)」という名前を得ました。当初はクルミを乗せたボール型でしたが、中心部が生焼けになるという問題を解決するべく、19世紀半ばにリング型が登場しました。

その発明者として名乗りを上げたのが、メイン州出身の船乗りハンソン・グレゴリーです。1847年に石灰貿易船の上で胡椒入れを使って生地に穴を開けた、というエピソードは今日でも広く語り継がれています。真偽のほどはともあれ、この穴が「火の通りを均一にする」という科学的な合理性を持っていることは確かです。

その後、第一次世界大戦での普及、機械化による大量生産、チェーン店の誕生などを経て、ドーナツは世界を代表するスイーツに成長しました。日本には大正時代(1914年ごろ)に初めて紹介され、1971年のミスタードーナツ日本1号店開店を機に本格的に広まり、今や日本の食文化に欠かせない存在となっています。

ドーナツの穴は単なる「飾り」でも「偶然」でもなく、長い歴史の中で培われた「知恵の穴」です。揚げ菓子の問題を解決するというシンプルな発想が、世界中で愛される独特のフォルムを生み出しました。次にドーナツを手にするときには、その穴に込められた歴史と発明のドラマを思い浮かべてみると、いつものドーナツがより一層おいしく感じられるはずです。

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