サンドイッチの語源は伯爵の名前!由来と250年の歴史を解説

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コンビニでサンドイッチを手に取るたび、ふと思うことがあります。「ハンバーガー」はハンブルクという地名が由来。「ナポリタン」はナポリ。じゃあ「サンドイッチ」の「サンド」って……砂? まさか砂浜で生まれた料理?

実は「サンドイッチ」の正体は、18世紀イギリスに実在した貴族の名前なんです。第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー——この人物がパンに肉を挟んで食べていたことから、料理そのものが伯爵の名前で呼ばれるようになりました。しかも、その理由が「トランプに夢中で食事の手を止めたくなかったから」だという逸話がついてくるんですから、思わず笑ってしまいます(ただし、この話には「実は仕事が忙しすぎただけ」という別の説もあるのですが)。

調べていくと驚きの連鎖が止まりません。伯爵はなんと悪魔崇拝を装った秘密クラブのメンバーだった。ハワイ諸島はかつて「サンドウィッチ諸島」と呼ばれていた。日本初の駅弁サンドイッチを後押ししたのは元総理大臣の黒田清隆だった。そして現在、伯爵の子孫がディズニーワールドでサンドイッチ店を経営している——。パンに具を挟んだだけの料理に、250年分のドラマが詰まっていたんです。

この記事を読み終えたら、次にサンドイッチを頬張るとき、あなたの頭には18世紀のイギリス貴族の姿が浮かんでいるはずです。たった一人の伯爵の食べ方が世界の食文化を変えた、その壮大な物語を一緒にたどってみませんか。

サンドイッチの語源は、18世紀イギリスの貴族である第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューの名前に由来しています。この伯爵がパンに具材を挟んだ軽食を好んで食べていたことから、「サンドイッチ」という名称が生まれました。世界中で愛されているこの料理には、イギリス貴族の逸話から地名の由来、産業革命による普及、そして現代に至るまで、250年以上にわたる豊かな歴史があります。

本記事では、サンドイッチという名前がどのようにして生まれたのか、その語源となった第4代サンドウィッチ伯爵とはどのような人物だったのか、そしてサンドイッチが世界中に広まった歴史について詳しく解説します。パンに具材を挟むという単純な料理が、なぜ一人の貴族の名前で呼ばれるようになったのか、その興味深い経緯を紐解いていきましょう。

目次

サンドイッチの語源とは

サンドイッチは英語の「sandwich」からの外来語であり、この名前は18世紀のイギリスの貴族、第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューの名前に由来しています。サンドウィッチ伯爵(Earl of Sandwich)は、イングランド貴族の伯爵位の一つで、爵位名はケント州のサンドウィッチという町に由来しています。1660年7月12日に、海軍司令官エドワード・モンタギューが王政復古の功により「サンドウィッチ伯爵」の爵位に叙せられたのが、この伯爵家の始まりでした。

「サンドイッチ」という語が文献に初めて登場したのは、1762年11月24日のエドワード・ギボンの日記です。ギボンは『ローマ帝国衰亡史』の著者として知られる歴史家で、彼は日記に「イングランドの紳士たちが、コーヒールームの真ん中で、ナプキンを敷いた小さなテーブルに座り、冷たい肉かサンドイッチをつまみ、パンチを一杯飲む」と記しています。この記録が、サンドイッチという言葉の最も古い文献上の出典となっています。

1760年代から1770年代にかけて、「サンドイッチ」という名称は一般に普及し定着しました。1777年にはレシピ書にも登場するようになり、この当時、サンドイッチはお金持ちの人が食べる最先端の食べ物として扱われていました。上流階級の社交場で広まったこの食べ物は、やがて一般市民の間にも浸透していくことになります。

サンドイッチ以前のパンと具材の食べ方

パンに具材を挟んだ食べ物自体は、サンドイッチという名前が付く以前から存在していました。M・モートンの調査によれば、16世紀から17世紀のイギリスでは、パンで具を挟んだ食べ物は単に「bread and meat(パンと肉)」または「bread and cheese(パンとチーズ)」などと呼ばれていました。特別な名称はなく、単に素材の名前で呼ばれていたのです。

古代ローマや古代エジプトの時代からも、パンに具材を挟んで食べる習慣の記録が残っています。つまり、サンドウィッチ伯爵が発明したわけではなく、ロンドンの軽食屋では既に「パンと肉」といった名前で売られていた記録もあります。伯爵が行ったのは、この食べ方に自身の名前を付けることになる習慣を広めたということになります。

第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューの人物像

第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューは、1718年11月13日に生まれ、1792年4月30日に亡くなったイギリスの貴族であり政治家でした。海軍大臣や北部担当国務大臣などの閣僚職を務め、探検家ジェームズ・クックの太平洋探検航海の有力な支持者の一人として活動しました。また、音楽家のパトロンとしても知られており、芸術と政治の両面で活躍した人物です。

彼は著名な政治家であり、サンドイッチという料理の由来とされる人物として、現代でも広く知られています。海軍大臣として海軍行政に携わりながら、文化活動にも積極的に関与した多才な人物でした。

サンドイッチ命名の由来に関する二つの説

サンドイッチという名前がなぜ付けられたのかについては、主に二つの説が存在します。それぞれの説を詳しく見ていきましょう。

トランプゲーム説について

最も広く知られているのは、サンドウィッチ伯爵が無類のトランプ好きであったという説です。伯爵はトランプゲームに夢中になっている時、空腹を覚えたが、ゲームを続けながら食事をしたいと考えました。そこで、二枚のパンに牛肉を挟んで食べることを思いついたのです。

「これは片手で食べられるし、指も汚れない。ゲームを続けながら食事もできる」ということで、伯爵はこの食べ方を大変気に入りました。この逸話は、フランスの歴史家・旅行作家ピエール=ジャン・グロレが紹介したことで有名になりました。手を汚さずに食事ができるという利便性が、この食べ方の魅力だったとされています。

仕事多忙説について

しかし、他の歴史的文献によると、この頃海軍大臣であったサンドウィッチ伯爵は、ゲームどころではなく仕事でとても多忙であったという記録があります。伯爵の伝記作家ニコラス・A・M・ロジャーは「海軍、政治、芸術と大忙しだったために、サンドイッチは賭博台よりは執務の最中に仕事机で食されただろう」としています。

つまり、「仕事しながら片手で食べられる食べ物を、とても気に入っていた」ことから、この名前がついたという説もあります。多忙な政治家が執務の合間に手軽に食事を取るための工夫だったという見方です。

逸話の真偽について

カードゲームの逸話は広く知られていますが、実際にはサンドウィッチ伯爵が多忙な政治家だったため、執務中に食べていたという説の方が有力視されています。賭博場での話は後世の創作である可能性も指摘されています。サンドイッチは地獄の火クラブを含む様々な場所で習慣として食べられていたため、サンドウィッチ伯爵の賭博の話は後には創作ではないかとも言われるようになりました。

地獄の火クラブとサンドウィッチ伯爵の関係

地獄の火クラブとは何か

地獄の火クラブ(Hellfire Club)は、18世紀に存在した英国の秘密結社です。悪魔主義を標榜していたとされていますが、その実態は単なる上流階級の秘密の社交クラブにすぎませんでした。

このクラブの主宰者である大富豪の貴族、第11代ル・ディスペンサー男爵フランシス・ダッシュウッドは、若い頃から放蕩生活を送り風流人として知られていました。1753年に友人からシトー会修道院の廃墟を譲り受け、そこを大改装して豪華な秘密の大殿堂に作りかえました。

サンドウィッチ伯爵とクラブの関係

ダッシュウッド卿は旅行中に親友となったサンドウィッチ伯爵と、帰国後にクラブを結成しました。著名なクラブ会員には、第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー、初代ウォートン公爵フィリップ・ウォートン、画家ウィリアム・ホガース、政治家ジョン・ウィルクスらが含まれていました。会員ではないが常連には、アメリカ建国の父の一人であるベンジャミン・フランクリンなどもいました。

クラブの活動内容

ヘルファイア・クラブでは有名貴族や金持ち、政治家、芸術家などが集まり、キリスト教の神を冒涜するような黒ミサや、悪魔崇拝のための儀式を行っていたとされています。しかし彼らは本気で悪魔を崇拝していたわけではなく、堕落と快楽にまみれた乱痴気騒ぎを繰り広げることが本当の目的でした。

クラブの会員は「低位聖職者」と「高位聖職者」の二種類に分けられていました。「低位聖職者」は会員の紹介で連れてこられた客で、後にイギリス国王ジョージ3世となるウィリアム・フレデリックや、後の首相ピュート伯といった大物も含まれていました。

クラブの閉鎖

クラブは十数年の運営期間を経て閉鎖され、閉鎖の際には関連する書類が全て焼却されました。閉鎖の理由としては、1762年にル・ディスペンサー男爵が財務大臣に指名されたことから、政治的に身辺を整理する必要があったとされています。軽食のサンドイッチは、地獄の火クラブを含む様々な場所で習慣として食べられていたという記録があります。

ケント州サンドウィッチ町の歴史

サンドウィッチ町について

サンドウィッチ(Sandwich)はイギリスのイングランド南東部ケントにある歴史的な町です。ストアー川沿いにあり、人口は約4,985人です。五港(Cinque Ports)の一つであり、中世以来の建物が多く残っています。かつてはイングランドの主要な港の一つでしたが、ウォンツァム海峡が無くなったため、現在は海から2マイルほどの距離にあります。

地名の語源

地名「サンドウィッチ」の語源について、851年には「ソンドウィック」として記録に登場しています。英語でサンド(sand)は砂を意味し、「-wich」という接尾辞はアングロサクソン語の「wic」に由来し、貿易(商業)が行われる場所を意味します。つまり、街の名前は「砂地のマーケットタウン」という意味です。

食べ物のサンドイッチとの関係

サンドイッチ(Sandwich)は、もともとはイギリスの地名であり、ケント州サンドウィッチを領地とした貴族の名(サンドウィッチ伯爵)です。第4代サンドウィッチ伯ジョン・モンタギューが好んだことから、パンに食物を挟んだ軽食をこう呼ぶようになったとされています。つまり、地名から伯爵の名前が付けられ、その伯爵の名前から食べ物の名前が付けられたという、二段階の由来があるのです。

ジェームズ・クックとサンドウィッチ諸島の命名

ジェームズ・クックの探検航海

第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューは、海軍大臣として探検家ジェームズ・クックの太平洋探検航海を支援した重要な人物でした。クックは第3回航海で北へと進路を取り、1778年にはハワイ諸島を訪れた最初のヨーロッパ人となりました。1778年1月、太平洋を北に向けて航海を続けていたクック船長の一行は、北緯二十度付近に幾つかの島々を発見し、クックはカウアイ島に上陸しました。

サンドウィッチ諸島の命名

クック船長は、この航海を命じた海軍卿(海軍大臣)第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューに敬意を表し、発見した島々を「サンドウィッチ諸島(Sandwich Islands)」と命名しました。ハワイ諸島を、時の海軍大臣でクックの探検航海の重要な擁護者でもあったサンドウィッチ伯の名前を取って命名したのです。

名称の変遷

ハワイにはもちろん先住民が住んでおり、島々にはそれぞれ固有の名前がありました。その後、ハワイ王国が成立すると、現地の名前「ハワイ」が公式に使われるようになり、「サンドウィッチ諸島」という名称は歴史の中に埋もれていきました。サンドウィッチ諸島はハワイ諸島の旧称として現在も知られています。また、南大西洋のサウスサンドウィッチ諸島も、同じく第4代サンドウィッチ伯爵を記念して名付けられました。

クックの最期

クック船長はその後、クック側とハワイアン側に揉め事が起き、ハワイ島で命を落としました。1779年2月14日のことでした。偉大な探検家の最期は、サンドウィッチ伯爵が命名した島々で迎えることとなったのです。

サンドイッチの普及と産業革命

上流階級から労働者階級への広がり

サンドイッチは、初めは夜の賭博や飲酒の際の食べ物でしたが、その後上流階級にも広がり、貴族の間で遅い夜食としても食べられるようになりました。サンドイッチが一般的な料理として広まったのは19世紀のことです。特に産業革命以降、イギリスの労働者層にとって便利な食事となりました。

19世紀にはスペインやイングランドで爆発的に人気が高まり、当時は工業社会の勃興期であり、労働者階級の間で早い・安い・携帯できる食べ物としてサンドイッチは不可欠なものとなりました。

産業革命と携帯食の需要

18世紀後半にイギリスで普及したサンドイッチは、食べやすい・作るのが簡単・携帯できるという利点が評価され、欧米であっという間に普及しました。19世紀から20世紀は産業革命の影響などもあって、家から離れたところにある職場で過ごす人が多くなっていた時期でもあり、このため携帯食として持ち歩きやすいサンドイッチが庶民の間にも普及しました。

イギリスにおけるサンドイッチの人気は、19世紀に飛躍的に高まりました。産業社会の発展と労働者階級の台頭により、手軽で持ち運びやすく、安価な食事が不可欠になったためです。例えばロンドンでは、1850年までに少なくとも70軒の屋台がハムサンドイッチを販売していました。

産業革命期の労働者の食事事情

産業革命期のロンドンでは、自炊しようにもキッチンがある住居がまず下層労働者にはなく、出身地の田舎の料理の継承ができず、都市部でその下地すらない二世三世世代への移行が発生しました。自炊ができない労働者向けの外食分野が大きな市場となり、焼き芋のほかに、サンドイッチやスープ、ココアなども販売されていました。このような社会的背景が、サンドイッチの普及を後押ししたのです。

日本におけるサンドイッチの歴史

日本への伝来

日本にサンドイッチが伝わったのは明治時代とされています。イギリスの「ティー・サンドイッチ」をルーツに、薄い食パンにキュウリやハムなどを挟んだものが一般的でした。

日本初の駅弁サンドイッチ

1892年(明治25年)、鎌倉市大船の大船軒が大船駅で販売したサンドイッチが、駅弁としては日本最初とされています。大船軒の創業者・富岡周蔵にサンドイッチの販売をすすめたのは、第2代内閣総理大臣も務めた黒田清隆でした。黒田はアメリカとヨーロッパ各国に外遊した経験があり、そのとき食べたサンドイッチが忘れられない味だったようです。

大船軒の『サンドウイッチ』は評判になり、日本各地に広がっていきました。イギリスの上流階級のものをお手本にしたサンドイッチを、日本人は1世紀以上にわたって食べてきたのです。

カツサンドの誕生

昭和時代になり、東京の「井泉」がトンカツを挟んだパンを売り出したのがカツサンドの始まりでした。きっかけは下町の花柳界の芸者たちのために作ったものが、おいしいと評判になったことです。日本独自のサンドイッチとして、カツサンドは現在も人気を博しています。

三角形サンドイッチの発祥

三角形に切られたサンドイッチについては、1961年(昭和36年)、東京の茗荷谷駅近くにあった「フレンパン」が「フレンサンドイッチ」という名称で販売し始めたものを発祥とします。現在コンビニエンスストアなどで見かける三角形のサンドイッチは、この形式が原型となっています。

外国からのサンドイッチ

1971年(昭和46年)に上陸したマクドナルドのハンバーガーをはじめ、過去に大ヒットしたサンドイッチの多くは外国から来たものでした。日本の食文化に海外のサンドイッチが融合し、独自の発展を遂げてきました。

現在の人気

日本人に好きな料理を質問したとき、サンドイッチをあげた方の割合は2020年時点で全体の45.6%であり、特に50代は48.0%、60代は47.2%と高い人気がありました。お昼ご飯やお弁当の定番として、日本でも当たり前のようにサンドイッチは食べられており、おにぎりの洋食版ともいえる料理として親しまれています。

世界のサンドイッチのバリエーション

サンドイッチの基本タイプ

サンドイッチには様々なタイプがあります。具を挟まずにパンに乗せただけのタイプは「オープンサンドイッチ」と呼ばれます。例えばライ麦パンの上に多彩な具材を乗せたデンマーク料理・スモーブローがあります。棒状のパンを二つにスライスして具材を挟んだものは「サブマリンサンドイッチ(サブ)」と呼ばれ、加温調理したものは「ホットサンドイッチ」に分類されます。

各国の代表的なサンドイッチ

世界各国には、その土地ならではのサンドイッチが存在します。

韓国のトストゥは、バターでこんがりと焼いたトーストにスクランブルエッグ、ハム、チーズなどがサンドされたボリュームのある一品で、箱型の紙容器で提供されるのも特徴です。

フランスのジャンボンブールは、バゲットにバターとハムだけのシンプルだが美味なサンドイッチで、フランス語でジャンボンはハム、ブールはバターのことです。別名サンドイッチ・パリジャンとも呼ばれています。

キューバのキューバサンドは、バゲットに似たキューバンブレッドというパンにローストポークやハム、チーズ、ピクルスなどを挟んでサンドイッチプレスで焼き上げます。ローストポークを柑橘系の果汁を入れたマリネ液(モホ)に漬けてから焼く点が特徴です。

ベトナムのバインミーは、大根と人参のなます、レバーペースト、ベトナムハム、パクチーといったスパイスの効いた定番のものから、しっかりと味付けされた肉を炒めたものまでかなり豊富な具材があります。

アルゼンチンのロミートは、ロモと呼ばれる牛肉でも背中の部分の柔らかい牛ステーキをサンドイッチにしたもので、肉々しさが特徴です。

スペインのボカティージョは、食パンより、バゲットに具材を挟むスタイルのサンドイッチが主流で、定番なのは「スペイン風のオムレツ」をサンドイッチしたものです。

コロンビアとベネズエラのアレパは、南米でポピュラーなトウモロコシの粉から作った薄焼きパンです。コロンビアではチョリソとチリソースを挟んだスパイシーなサンドイッチが定番で、ベネズエラではアボカドとチーズ、豚肉、プランテン(調理用バナナ)のフィリングが定番です。

ドイツのレバーケーゼサンドは、ドイツ風ミートローフのレバーケーゼ(ひき肉と香味野菜、スパイスを型に入れて蒸し焼き)を、ドイツパンのカイザーゼンルで挟んだ、ドイツのカフェでは定番のサンドイッチです。

フィンランドのヴォイレイパは、フィンランド語でサンドイッチのことです。オープン・サンドイッチであることが多く、パンはライ麦パンで、上にのせるものはヘリング(ニシン)やスモークサーモンといった魚であることが多いです。

イギリスのチップ・バティは、ポテトフライを白い食パンに挟んだサンドイッチです。味付けはお酢のみが王道レシピで、ケチャップを使うのは邪道とされます。

アメリカのピーナッツバター&ジェリーは、食パンにピーナッツバターとフルーツジャムを塗ったものです。日本人のおにぎりのような感覚で、アメリカでは手軽にサクッと食べる定番となっています。

現代のサンドウィッチ伯爵家

現在の当主

現在のサンドウィッチ伯爵家の当主は、第12代サンドウィッチ伯爵ルーク・モンタギューです。サンドイッチという料理の由来となった伯爵家は、250年以上の時を経て現在も存続しています。

アール・オブ・サンドウィッチの創業

11代伯爵は「アール・オブ・サンドウィッチ」というサンドイッチ店を創業しました。2004年3月19日にウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートに1号店を開業しています。サンドウィッチ伯爵の子孫が開業したサンドイッチチェーン店として、現在も営業を続けています。

伯爵家の名前を冠したサンドイッチ店が、サンドイッチという料理の由来となった伯爵家の子孫によって運営されているというのは、興味深い歴史の巡り合わせです。18世紀の伯爵が好んだ食べ方が、21世紀にその子孫の手によってビジネスとして展開されているのです。

サンドイッチの記念日

サンドイッチデー(3月13日)

日本では3月13日が「サンドイッチデー」とされています。これは、数字の「1」が「3」で挟まれていることから、「サン(3)ド(1)イッチ」の語呂合わせで選ばれました。パンで具材を挟むサンドイッチの形を、数字で表現した記念日です。

サンドウィッチの日(11月3日)

11月3日は「サンドウィッチの日」とされています。これは、第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューの誕生日(1718年11月13日)にちなんでいます。また、「いい(11)サン(3)ド」の語呂合わせにもなっています。このように、日本ではサンドイッチに関する記念日が二つ存在し、それぞれ異なる由来を持っています。

アフタヌーンティーとサンドイッチの関係

アフタヌーンティーの起源

アフタヌーンティーの起源は18世紀頃のイギリスにあります。1840年頃、アンナ・マリア・ラッセルという第7代ベッドフォード公爵夫人のアイディアであるといわれています。彼女はヴィクトリア女王の側近も務めた人物でした。

当時の貴族の食生活は、イングリッシュ・ブレックファーストと呼ばれる盛りだくさんの朝食をとり、昼食は少量で軽くすませ、社交を兼ねた晩餐は夜の8時頃になっていました。そのため、昼食から夕食までの空腹はかなりのものでした。そこで公爵夫人は、空腹を防ぐため、午後の3時頃から5時頃の間に、サンドイッチや焼き菓子を食べ、同時にお茶を飲むことをはじめました。

社交文化としての発展

最初はひとりだけの楽しみでしたが、やがて、邸を訪れる婦人たちをドローイング・ルームと呼ばれる応接間に通し、もてなしたところ評判となり、アフタヌーンティーは貴婦人たちの午後の社交として定着していきました。

三段重ねのティースタンドには、サンドイッチ、スコーン、ケーキなどのティーフードが置かれています。これは、貴族のアフタヌーンティーが、ドローイング・ルームという応接間で開かれたことに由来しています。

キュウリのサンドイッチの意味

アフタヌーンティーで特に定番なのが、キュウリのサンドイッチです。当時のイギリスでは、キュウリは温室でのみ育つ野菜で、温室を持つ裕福な貴族だけが栽培して口にできました。そのため、キュウリは富の象徴とされていたのです。シンプルなキュウリのサンドイッチが、実は贅沢品だったという興味深い歴史があります。

ハイティーとの違い

ハイティーは、アフタヌーンティーより遅めの17時ごろに始まり、主に労働者階級の方が、仕事の後に家族でお茶を飲む時間のことを表します。食事としての要素が強く、サンドイッチの他に、肉や魚といったメインディッシュも一緒に食べられます。貴族のアフタヌーンティーと労働者階級のハイティー、同じ「お茶の時間」でも、その性格は大きく異なっていました。

「キリン 午後の紅茶」との関連

日本初のペットボトル入り紅茶「キリン 午後の紅茶」は、英国貴族の優雅な習慣であった「アフタヌーンティー」にちなみ名付けられました。その創始者であるアンナ・マリアをシンボル・マークとして、1986年に発売を開始しました。イギリスの茶文化が日本の飲料商品にも影響を与えた例といえます。

アメリカの有名なサンドイッチ

BLTサンド

BLTサンドイッチ(BLT sandwich)または単にBLTとは、サンドイッチの一種です。パンに挿む食材として、ベーコン(bacon)、レタス(lettuce)、トマト(tomato)が用いられることから、それぞれの頭文字を取って名づけられました。

BLTサンドが普及したのは、第二次世界大戦以降だと言われています。スーパーマーケットが急激に普及し、年間を通して同じ材料が使えるようになったからです。食文化の歴史を研究するジョン・マリアーニによると、BLTサンドイッチはアメリカではハムサンドに次いで最も人気があるサンドイッチです。

ルーベンサンド

ルーベンサンドあるいはルーベンサンドイッチ(英: Reuben sandwich)とは、ライ麦パンにコンビーフ、ザワークラウト、スイスチーズ、ロシアンドレッシングまたはサウザンドアイランドドレッシングを挟んでグリルしたホットサンドです。ニューヨークの定番サンドイッチおよび名物料理の一つに挙げられます。

起源については複数の説があります。1920年代にネブラスカ州オマハのブラックストーン・ホテルで、リトアニア生まれのユダヤ人食料雑貨商ルーベン・クラコフスキーがポーカー仲間のために考案したという説や、1914年にニューヨークで「ルーベンズ・デリカテッセン」を経営していたドイツ系ユダヤ人のアーノルド・ルーベンが考案したという説があります。

クラブサンド

クラブ・サンド(Club sandwich)もアメリカを代表するサンドイッチの一つです。BLTサンドとは異なり、通常は三枚のトーストパンを使い、ベーコン、レタス、トマトに加えて、七面鳥や鶏肉、マヨネーズなどが挟まれます。ボリュームたっぷりのサンドイッチとして、アメリカのダイナーやホテルで人気があります。

その他のアメリカンサンドイッチ

アメリカには他にも多くの種類のサンドイッチがあります。エルビス・プレスリーが好んだとされるピーナッツバターとバナナを挟んだエルビス・サンド、フィラデルフィア名物のチーズステーキ・サンド、ニューオーリンズ発祥のポーボーイ・サンド、フレンチディップ・サンドなど、各地域で独自のサンドイッチ文化が発展しています。アメリカは移民の国として、様々な食文化が融合し、独自のサンドイッチを生み出してきました。

サンドイッチの語源と歴史から見える食文化の変遷

サンドイッチという食べ物の名前は、18世紀イギリスの第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューに由来しています。伯爵がカードゲームに夢中になりながら片手で食べられる食事として好んだ、あるいは多忙な政務の合間に食べていたことから、この名前が付けられたとされます。

「サンドウィッチ」という地名は、ケント州の歴史ある港町に由来し、「砂地のマーケットタウン」という意味を持ちます。地名から伯爵の爵位名が付けられ、さらにその伯爵の名前から食べ物の名前が付けられたという、二段階の由来があります。

第4代サンドウィッチ伯爵は、探検家ジェームズ・クックの太平洋探検航海を支援し、ハワイ諸島がかつて「サンドウィッチ諸島」と呼ばれていたのも、この伯爵に敬意を表して命名されたものです。一人の貴族の名前が、食べ物と太平洋の島々の両方に残されているのは、歴史の興味深い一面です。

パンに具材を挟んで食べる習慣自体は古代から存在していましたが、「サンドイッチ」という名称が定着したのは18世紀後半のことです。その後、産業革命の進展とともに、携帯食として労働者階級に広まり、世界中で親しまれる食べ物となりました。上流階級の贅沢品から労働者の日常食へと変化した歴史は、社会の変遷を映し出しています。

日本には明治時代に伝来し、1892年には日本初の駅弁サンドイッチが販売されました。現在では、世界中で様々なバリエーションのサンドイッチが生まれ、各国の食文化を反映した独自の発展を遂げています。カツサンドやたまごサンドなど、日本独自のサンドイッチも生まれ、日本の食文化に根付いています。

サンドウィッチ伯爵家は現在も存続しており、11代伯爵が創業したサンドイッチ店「アール・オブ・サンドウィッチ」は、伯爵家の名を冠したチェーン店として営業を続けています。250年以上の時を経て、サンドイッチは世界で最も人気のある食べ物の一つとなり、その名前の由来となった伯爵の名は、今も世界中で親しまれ続けています。

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