日本語の「あいうえお」の順番は、古代インドのサンスクリット語の音韻体系(悉曇学)と中国の音韻学(反切)を背景に、平安時代の学僧たちが作り上げた配列です。私たちが小学校で当たり前のように覚える「あ・い・う・え・お」「か・き・く・け・こ」という並びには、1000年以上にわたる仏教文化・言語学・教育史の積み重ねがあります。なぜ五十音はこの順番なのか、誰がいつ作ったのか、いろは歌との関係はどうなっているのか。本記事では、日本語の「あいうえお」順番の語源・歴史・由来を、平安時代の成立から明治の普及、現代の活用までを通して詳しく解説します。日本語教育に携わる方、国語の歴史に関心のある方、子どもに「なぜこの順番なの」と聞かれて答えに窮した方にとって、知っているようで知らない五十音の世界を体系的に理解できる内容です。

あいうえおの順番とは何か
あいうえおの順番とは、日本語の仮名文字を母音と子音に基づいて体系的に配列した五十音図の並び順のことです。縦に「あ・い・う・え・お」の五つの母音段、横に「ア行・カ行・サ行・タ行・ナ行・ハ行・マ行・ヤ行・ラ行・ワ行」の十の子音行を組み合わせ、合計五十のマスで日本語の音節を整理した表が五十音図です。
縦の五つのグループは「段」と呼ばれ、ア段(あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ)、イ段、ウ段、エ段、オ段の五段に分かれます。横の十のグループは「行」と呼ばれ、それぞれの行が同じ子音を共有しています。この体系的な配列により、日本語の音韻構造が視覚的に整理され、辞書の索引や文法の活用表の基盤として機能してきました。
つまりあいうえおの順番は、単なる暗記用の並びではなく、日本語の音の仕組みそのものを表現した音韻体系なのです。
五十音図はいつ誰が作ったのか
五十音図の起源は平安時代にさかのぼります。現存する最古の五十音図は、京都・醍醐寺所蔵の写本『孔雀経音義(くじゃくきょうおんぎ)』に付記されたもので、平安時代末期の寛弘元年から長元元年(1004年〜1028年)頃に成立したと考えられています。
ただし、この醍醐寺の音図は現代のものとは配列が異なり、ア行やナ行がなく、段と行の順序も違っていました。キコカケクから始まるなど、現代の形とはかなり異なる姿だったのです。
現在の五十音図と段の順序が同じである最古のものは、大東急文庫所蔵の『金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)』の巻末に「五音又様」として記されたものとされ、11世紀初頭の成立とされています。
その後、寛治七年(1093年)に比叡山延暦寺の僧・明覚(みょうかく)が著した『反音作法(はんおんさほう)』の中に、現在の五十音図に非常に近い形のものが収録されました。明覚上人は五十音図の整備・普及に大きく貢献した人物として知られ、「あいうえお五十音図の創始者」と呼ばれることもあります。明覚上人ゆかりの地である石川県加賀市の山代温泉は「五十音図発祥の地」として知られています。
このように、五十音図は一人の人物によって突然作られたものではなく、平安時代の学僧たちによって試行錯誤の末に作り上げられ、明覚上人によって現在の形に近づけられたという経緯があります。
あいうえおの語源は古代インドのサンスクリット語にある
あいうえおの順番の語源を探ると、古代インドのサンスクリット語にたどり着きます。五十音図の配列を語るうえで欠かせないのが、悉曇学(しったんがく)と梵字(ぼんじ)の影響です。
悉曇学とは、古代インドのサンスクリット語(梵語・ぼんご)の文字と音韻を研究する学問で、仏教の経典を正確に読むために中国や日本へ伝えられました。「悉曇(しったん)」とはサンスクリット語で「成就」「完成」を意味する「シッダム(siddham)」に由来する言葉で、梵字の字体の一種を指すこともあります。
古代インドのサンスクリット語は、非常に精緻な音韻体系を持っていました。その字母表では、母音が前、子音が後に配列され、さらに子音は調音位置(どこで音を出すか)と調音方法(どのように音を出すか)によって体系的に整理されていたのです。
日本の平安時代の学僧たちは、仏教の経典を学ぶ過程でこのサンスクリットの精緻な音韻体系を知り、日本語の音をこれになぞらえて整理しようとしました。その結果生まれたのが五十音図であり、「あいうえお」という段の順番や「あかさたな…」という行の順番も、サンスクリット語の字母配列に基づいたものとなっています。
明覚上人もまた、比叡山で天台宗の教学とともに悉曇学を学び、その知識を活かして日本語の音韻体系を整理した人物です。五十音図の段の配列や行の配列がサンスクリットの体系に従っているのは、こうした歴史的経緯によるものなのです。
中国の反切が五十音図に与えた影響
五十音図の成立には、悉曇学だけでなく中国の音韻学における「反切(はんせつ)」の影響も大きかったとされています。
反切とは、漢字の発音を表記するために古代中国で考案された方法で、二つの漢字を用いて一つの音を表す技法です。一字目(反切上字)の子音部分と二字目(反切下字)の母音以下の部分を組み合わせることで、多くの字音を表記できる仕組みになっています。
たとえば「東(トウ)」という音を表すのに「徳(ト)」と「紅(コウ)」の二字を使い、「徳」の子音「ト」と「紅」の母音「オウ」を合わせて「トウ」という音を導き出すような方法です。子音と母音を分解して組み合わせるという発想は、現代の音韻学に通じる極めて合理的なものでした。
日本の学僧たちは、漢籍(中国の書物)を学ぶうえでこの反切を日常的に使っていました。反切を正しく理解・運用するためには、子音と母音をそれぞれ体系的に把握する必要があり、これが日本語の音韻を整理する動機の一つとなったのです。
つまり五十音図は、悉曇学(サンスクリット語音韻学)と反切(中国語音韻学)という二つの学問的背景を融合させた形で生まれた、日本独自の音韻体系の表現なのです。インド・中国・日本という東アジアの三つの文化圏の知が交差する地点に、あいうえおの順番は位置していると言えます。
「あいうえお」の母音順番はなぜこの順か
母音が「あ・い・う・え・お」という順番に並んでいる理由には、音声学的な背景と歴史的な背景の両方があります。
音声学的に見ると、日本語の五つの母音は舌の位置や口の開き方によって分類できます。音声学では母音を舌の高さ(高・中・低)と舌の前後位置(前・中・後)、および唇の丸め(円唇・非円唇)によって分類するのが一般的です。
日本語の母音の特徴を整理すると次のようになります。
| 母音 | 音声学的特徴 |
|---|---|
| あ | 口を最も大きく開く低母音 |
| い | 舌を最も前に出す前高母音 |
| う | 舌を後ろに引く非円唇後高母音(唇をほとんど丸めない) |
| え | 前中母音 |
| お | 後中母音(円唇) |
現在の「あいうえお」という順番は、音声学的に最も合理的な配列ではなく、「あ・い・う」が先で「え・お」が後から加わった歴史的な経緯があるとも言われています。一方、発声練習の観点からは「あえいおう」の順番の方が口の動きがスムーズという見方もあります。「あえいおう」の順に発音すると、最も口を大きく開く「あ」から始まり、「え」「い」と徐々に口の開きが小さくなり、「お」「う」と移行するため、口の動きが連続的になるからです。
しかし歴史的に定着してきた「あいうえお」の順番は、サンスクリット語の字母配列に準じたものであり、学術的・体系的な整理の観点から選ばれた配列となっています。
「あかさたな」という行の順番の由来
「ア行・カ行・サ行・タ行・ナ行・ハ行・マ行・ヤ行・ラ行・ワ行」という行の順番もまた、サンスクリット語の字母配列に由来しています。
サンスクリット語の子音字母は、調音位置(軟口蓋・硬口蓋・そり舌・歯・唇)によって体系的に並べられていました。日本語の五十音図の行の順番も、この配列に大まかに対応しています。
行ごとの音の出し方の位置を整理すると次のとおりです。
| 行 | 子音 | 調音位置 |
|---|---|---|
| カ行 | k音 | 軟口蓋音(喉の奥) |
| サ行 | s音 | 歯茎音(歯の裏側付近) |
| タ行 | t音 | 歯茎音 |
| ナ行 | n音 | 鼻音 |
| ハ行 | h音 | 声門音(喉) |
| マ行 | m音 | 唇音 |
音の出し方の位置が大まかに口の奥から前へと並んでいる部分があることが分かります。
ただし日本語の行の順番はサンスクリットの体系を完全に踏襲しているわけではなく、日本語の音の特性に合わせて独自に整理されています。ヤ行・ラ行・ワ行の配置については、サンスクリットの「半母音」に対応するものとして位置づけられていると考えられています。
いろは歌と五十音図の違い
五十音図が成立したのとほぼ同じ時期に、もう一つの有名な仮名文字の配列「いろは歌」も成立しました。
いろは歌とは、「いろはにほへとちりぬるを…」と続く47文字(または46文字)の歌で、当時使用されていた仮名文字を一文字ずつ重複させずに使って作られたものです。その成立は10世紀末から11世紀半ばの間とされています。
いろは歌は仏教の「無常観」を表した歌とも言われ、諸行無常の理を詠んだという説があります。江戸時代まで広く手習いの手本として使われてきました。寺子屋などで子どもたちが文字を覚えるとき、まず「いろはにほへと…」から習うのが慣わしだったのです。
一方、五十音図は同じ時期に存在していたものの、最初は「音節の索引や音韻研究のための学術的ツール」としての性格が強く、一般庶民の文字学習には使われていませんでした。つまり平安時代から江戸時代まで、仮名文字の並び順として一般的に使われていたのはいろは順であり、五十音順はあくまで学者や僧侶の世界での音韻研究ツールだったのです。
両者の違いを整理すると、いろは歌は「歌として暗唱する手習い用の配列」であるのに対し、五十音図は「音の仕組みを示す学術的な配列」という性格の違いがあります。同じ仮名を並べていても、その目的と思想は大きく異なっていたわけです。
江戸時代の国学者と五十音順の発展
江戸時代になると、国学者(日本古来の文化・言語・文学を研究する学者)たちが五十音図に注目するようになりました。国学とは、日本古来の文化・言語・文学を中国の儒学の影響を排して研究しようとする学問運動で、17世紀から19世紀にかけて発展した学問です。
真言宗の僧侶でもあった契沖(けいちゅう、1640〜1701年)は、五十音について体系的な研究を行い、著書『和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)』の中で五十音表を掲載しました。契沖は「同じ母音を持つ文字を横に、同じ子音を持つ文字を縦に並べる」という現在の五十音図の原型をより明確にした人物です。彼の仮名遣い研究は、その後の国学者たちの出発点となりました。
国学者の賀茂真淵(かものまぶち、1697〜1769年)も、晩年の著書『語意考(ごいこう)』において「五十聯音(ごじゅうれんおん)」と名付けた五十音表を紹介し、語句の活用についても説明しました。真淵は日本語の動詞活用を五十音図に基づいて整理した功績でも知られており、現代の古典文法教育における動詞・形容詞の活用表の原型を作った人物と言えます。
本居宣長(もとおりのりなが、1730〜1801年)は、古事記の研究(『古事記伝』)を通じて日本語の古層を探り、歴史的仮名遣いの体系化に貢献しました。宣長の古典語研究においても、五十音図は重要なツールとして活用されました。
辞書における五十音順の採用もこの時代に始まりました。現存する最古の五十音引き辞書は、大伴広公が著した『温故知新書(おんこちしんしょ)』(1484年成立)とされていますが、江戸時代後半になって本格的に普及しました。
津藩(現在の三重県)の国学者・谷川士清(たにかわことすが、1709〜1776年)が著した国語辞書『倭訓栞(わくんのしおり)』は、日本語の語句を五十音順に配列した本格的な国語辞書として画期的な存在となりました。谷川士清は、五十音順で語句を整理し、意味の説明まで加えた国語辞書を初めて編纂した人物として評価されています。
江戸時代後半の文化・文政の頃(19世紀初頭)から、語句の配列が「いろは順」から「五十音順」に移行する動きが国学者・辞書編纂者の間で広まっていったのです。
明治時代の教育改革であいうえおが普及した経緯
五十音図(あいうえお順)が一般庶民にも広く普及したのは、明治時代の近代教育制度の確立によるところが大きいとされています。
1872年(明治5年)に学制が公布され、全国に小学校が設置されるようになりました。明治政府は西洋式の近代教育制度を整備する中で、全国共通の教育標準を必要としていました。寺子屋でのいろは教育から、近代的な学校教育への転換が図られたのです。
明治初期の小学校教科書では、すでに片仮名の五十音図が採用されていた例が見られます。ただし明治初期はまだ統一されておらず、明治の教科書の中には五十音図においてヤ行のイ段・エ段やワ行のウ段などに通常の「い・う・え」とは異なる文字を配したものも見られました。『小学教授書』(明治6年)や『小学入門』(明治7〜8年)、『日本文典』(明治30年)などがありますが、徐々に現在の形に統一されていきました。
明治20〜30年代頃から「あいうえお」順が学校教育の中で主流となり、昭和初期にはほぼ完全に定着したとされます。明治の教育改革によって全国の子どもたちが小学校で五十音を学ぶようになったことで、「あいうえお…」という順番が日本人の共通知識として定着していったのです。
いろは順から五十音順への転換が進んだ理由は、大きく三つに整理できます。
第一に、五十音図の方が音韻体系として論理的・体系的であることです。同じ子音を持つ文字が同じ行に、同じ母音を持つ文字が同じ段に整理されているため、日本語の音の仕組みを理解しやすくなっています。
第二に、五十音順の方が語彙の索引・検索に便利であることです。辞書や索引を引く際、五十音順の方が体系的に配列されており、目的の語を見つけやすいという実用上のメリットがあります。
第三に、明治以降に大量に流入してきた外来語(特にカタカナ表記のもの)を、いろは歌では対応しにくかったことです。五十音図は外来語の音節を表記・整理するのに、より適した体系だったのです。
なぜ「五十音」なのに50文字ではないのか
五十音図は「五十音」と呼ばれているにもかかわらず、現代日本語において実際に使われる平仮名・片仮名の基本文字は46字しかありません。この「50」と「46」の不一致には、歴史的な理由があります。
五十音図は「5段×10行=50」という理論的な枠組みを持っており、もともとは全てのマスが埋まるように想定されていました。しかし歴史的な音変化によって、いくつかの音が消滅し、それに対応する文字が現代語では使われなくなったのです。
現代語で使われなくなった文字の代表例は「ゐ(ウィ)」と「ゑ(ウェ)」です。これらはワ行のイ段・エ段に相当する文字で、平安時代には「ゐ」(wi音)「ゑ」(we音)として使用されていました。しかし鎌倉時代以降に「い」「え」と同じ発音になり、現代語では廃れてしまいました。
またヤ行のイ段(「い」と異なるyi音)やヤ行のエ段(「え」と異なるye音)、ワ行のウ段(「う」と異なるwu音)も、理論上は存在すべきマスですが実際の音としては存在せず、空欄または「い」「う」「え」で代用されています。
「ゐ」「ゑ」「ヲ」などを含めた歴史的な五十音図では48文字が使用されており、空欄マスと合わせると理論上の50になります。現代語の46文字はその中からさらに廃れた文字を除いたものです。
つまり「五十音」という呼称は、5×10という整然とした理論的枠組みに基づいた名称であって、実際に使われる文字が50あるという意味ではないのです。古代の音韻整理の枠組みが、名称として今日まで残ったものと考えることができます。
現代仮名遣いと五十音図の整理
1946年(昭和21年)に「現代かなづかい」が告示されたことにより、五十音図の表記が大きく整理されました。
それ以前の歴史的仮名遣いでは、ワ行のイ段に「ゐ(ウィ)」、エ段に「ゑ(ウェ)」が置かれていました。また「を」(ヲ)はワ行のオ段として独立した発音を持っていました。しかし現代日本語ではこれらはそれぞれ「い」「え」「お」と同じ発音になっており、「ゐ」「ゑ」は日常使用上廃止となったのです。
現代の五十音図では、ヤ行のイ段・エ段は「い」「え」を置くか空欄にし、ワ行もワ・ヲだけ(または「を」は助詞専用として保持)という扱いが標準となっています。
この1946年の現代仮名遣い制定は、長い歴史的仮名遣いの時代から現代日本語の表記への大きな転換点となりました。五十音図も、この時代の変化に合わせて現在使われている形に整理されたのです。
ひらがな・カタカナの成立と五十音図の関係
五十音図の歴史を理解するには、ひらがなとカタカナの成立の歴史を押さえておくことも重要です。
日本語の文字の歴史は、漢字の伝来から始まります。4〜5世紀頃に中国大陸から漢字が伝わり、奈良時代になると漢字の音を借りて日本語の音を表す「万葉仮名(まんようがな)」が使われるようになりました。万葉仮名とは、たとえば「山(や)」「麻(ま)」「奈(な)」のように漢字の音読みや訓読みを利用して日本語の音節を表す方法で、その名のとおり『万葉集』に多く見られる表記法です。
やがてこの万葉仮名が簡略化・変形されていく過程で、ひらがなとカタカナが生まれました。
ひらがなは、漢字の草書体(くずし字)をさらに簡略化したものです。平安時代の9世紀後半頃に成立したとされており、当初は「女手(おんなで)」とも呼ばれ、主に女性の間で用いられました。紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』など、平安時代を代表する文学作品がひらがなで書かれているのはこのためです。
カタカナは、漢字の文字の一部分を取り出したものから生まれました。平安時代の9世紀初め頃に成立したとされており、最初は仏典や漢籍を読む際に補助的なルビ(読み仮名)として使用されました。その後、外来語の表記や擬音語・擬態語の表記に広く用いられるようになっていきました。
こうして漢字・ひらがな・カタカナという日本語の三種類の文字体系が平安時代に出そろい、五十音図はこの文字体系の中で、主にひらがなやカタカナの音節を体系的に整理するためのツールとして機能してきたのです。
古典文法における五十音図の役割
現代の国語教育において、五十音図は古典文法(古文)の学習においても重要な役割を果たしています。
日本語の動詞や形容詞の活用形は、五十音図に基づいて整理・分類されます。たとえば動詞の活用の種類(四段活用・上一段活用・下一段活用・カ行変格活用・サ行変格活用など)は、活用語尾がどの段に属するかによって分類されます。「書く(か・き・く・く・け・け)」のように語尾が四つの段にまたがる変化をするものを「四段活用」と呼ぶのは、五十音図の「段」の概念に基づいているからです。
形容詞の「ク活用・シク活用」や助動詞の活用表なども、五十音図の枠組みの中で記述されます。つまり古典文法全体が五十音図という枠組みの上に成立していると言っても過言ではありません。
この点は現代語でも同様で、現代語の動詞活用(五段活用・上一段活用・下一段活用・カ行変格活用・サ行変格活用)も五十音図に基づいて記述されます。「書かない・書きます・書く・書くとき・書けば・書こう」という六つの活用形は、五十音図のア段・イ段・ウ段・エ段・オ段への変化として整理できるのです。
このように五十音図は、日本語の音節を並べた単なる表ではなく、日本語の文法体系全体を支える骨格となっています。
現代における五十音順の活用
現代日本語において、五十音順は極めて広範囲に活用されています。
辞書・事典の配列はほぼすべて五十音順であり、日本語の辞書を引くには五十音を正確に把握していることが必要です。国語辞典、漢和辞典、和英辞典などの辞書類は基本的に五十音順に語句を配列しています。
電話帳・住所録・名簿の配列も五十音順が標準的です。人名や地名を五十音順に並べることで、目的の情報を素早く見つけることができます。文書の索引・目次も五十音順で作成されることが多く、書籍の巻末索引、ウェブサイトのサイトマップ、データベースの検索結果など、情報を整理・検索するツールとして五十音順は広く使われています。
コンピュータ・デジタル機器での日本語入力においても、五十音順はキーボード配列やフリック入力の基本となっています。スマートフォンのフリック入力では「あ」「か」「さ」「た」「な」「は」「ま」「や」「ら」「わ」の10キーに五十音が割り当てられており、各キーを上下左右にスライドすることで各行の文字を入力します。これも五十音図の「行」の概念をそのままユーザーインターフェースに応用したものです。
また日本語を外国語として学ぶ人たちにとっても、五十音図は日本語の音節体系を理解するための重要なツールとなっています。ひらがな・カタカナの読み書きを習得する際、五十音図は学習の出発点として広く活用されています。
あいうえおと世界の言語との比較
「あいうえお」という日本語独自の五母音体系は、世界の言語の中で見ると比較的シンプルな体系です。英語が約14〜15の母音音素を持つのに対し、日本語の基本母音は「あ・い・う・え・お」の5つだけだからです。
ただしこれはあくまで音素(意味を区別する最小の音の単位)のレベルでの話であり、実際の発音においては個人差や文脈による変化が存在します。たとえば無声化(「き」「く」などで母音がほとんど聞こえなくなる現象)や、語末の「す」が「ス」となる現象など、音声レベルでは多様な変異があります。
日本語の五母音体系に近いものは、スペイン語(a・e・i・o・u)やアラビア語(a・i・u)などにも見られます。特にスペイン語は日本語と同じ5母音体系を持つため、日本語母語話者にとってスペイン語の母音は習得しやすいとも言われています。
このような観点から見ると、「あいうえお」という日本語の五母音体系は、サンスクリット語の影響を受けながらも日本語の音の実情に合わせて整理された、日本語独自の音韻秩序を表していると言えるでしょう。
あいうえおの順番についてよくある疑問
あいうえおの順番について、多くの人が抱く疑問にも触れておきます。
まず「いつから今の順番になったのか」という疑問です。現在の五十音図に近い形が登場したのは寛治七年(1093年)の明覚『反音作法』ですが、一般庶民に普及したのは明治時代以降のことです。江戸時代までは寺子屋を中心に「いろは順」が主流で、五十音順は学者や僧侶の世界の音韻研究ツールにとどまっていました。
次に「誰が作ったのか」という疑問です。一人の人物が作ったわけではなく、平安時代の学僧たちが悉曇学(サンスクリット語の音韻学)と中国の反切を参考にしながら段階的に整備したというのが実態です。その中でも明覚上人は現在の五十音図に近い形を提示した人物として重要視されており、「あいうえお五十音図の創始者」と呼ばれることもあります。
「なぜ五十音と呼ぶのに46文字なのか」という疑問もよくあります。これは5段×10行という理論的枠組みで五十のマスが想定されたものの、歴史的な音変化によって「ゐ」「ゑ」などの文字が廃れ、現代では46文字になったためです。
「いろは歌と五十音図はどちらが古いのか」という質問もあります。両者はほぼ同時期の平安時代に成立しており、いろは歌は10世紀末から11世紀半ば、五十音図は1004年〜1028年頃と、ほぼ並行して登場しました。役割が異なっていたため、長く並存してきたのです。
まとめ
「あいうえお」という日本語の並び順は、一見すると単純な暗記事項のように見えますが、その背後には1000年以上にわたる歴史と、インド・中国・日本の学問が交差する深い文化的背景があります。
平安時代の学僧たちは、仏教の経典を正確に読み解くためにサンスクリット語の音韻体系(悉曇学)と中国語の音韻表記法(反切)を学び、それを日本語に適用することで五十音図を生み出しました。この過程で「あいうえお」という母音の段と「あかさたな…」という子音の行という体系的な配列が確立されたのです。
五十音図は平安時代に誕生しながらも、長い間は学僧の世界での学術的ツールにとどまり、一般庶民はいろは歌を文字学習に使っていました。江戸時代の契沖・賀茂真淵・本居宣長・谷川士清といった国学者たちが五十音図を国語研究に活用し、辞書編纂に応用したことで徐々に広まっていきました。そして明治時代の近代教育制度の確立によって、全国の小学校で「あいうえお」を学ぶことが標準となり、現代日本人にとって最も親しみ深い文字の並び順として定着したのです。
現在、私たちが何気なく使っている「あいうえお」の順番は、古代インドの仏教文化から始まり、中国の音韻学を経て、日本の平安時代の学僧たちが作り上げ、江戸時代の国学者が発展させ、明治の教育改革が普及させた、長い歴史の積み重ねの産物なのです。子どもに「なぜこの順番なの」と聞かれたら、ぜひこの壮大な物語を伝えてみてはいかがでしょうか。








