カラオケに行くと必ず聞かれるあの質問、「十八番(おはこ)は何?」。私もよく聞かれますし、自分でもよく使います。でもある日、ふと気づいたんです。この言葉、冷静に考えるとツッコミどころだらけだな、と。なぜ「得意なもの」が「十八」番なんでしょう。一番でも五番でもなく、なぜ十八? しかも「じゅうはちばん」と読めるのに「おはこ」とも読む。箱(はこ)と十八に何の関係が?
気になって調べてみたら、答えは江戸時代の歌舞伎の世界にありました。七代目市川團十郎という歌舞伎役者が、市川家に代々伝わる得意演目を18種類選んで「歌舞伎十八番」として発表した。そしてその大切な台本を箱に入れて保管していたから「おはこ」——。なるほど、と膝を打ちかけたのですが、すぐに次の疑問が湧いてきます。じゃあなぜ「十八」という数字だったのか? 実はそこには仏教の深い意味が隠されていたんです。
さらに驚いたのは、この市川團十郎という一族の物語そのもの。初代は14歳で初舞台に立ち、荒事という豪快な演技スタイルを生み出したものの、なんと舞台上で刺殺されるという壮絶な最期を遂げている。七代目は歌舞伎十八番を制定した直後に江戸追放の刑に処されている。そして2022年、十三代目が9年ぶりに團十郎の名を復活させた——。「十八番」というたった三文字の言葉の裏に、230年以上にわたる波乱万丈の家族史が隠れていたとは思いもしませんでした。
この記事を読み終えたら、次のカラオケで「十八番は?」と聞かれたとき、ちょっと得意げに語れるうんちくが手に入っているはずです。何しろ、江戸の歌舞伎小屋から成田山新勝寺、そして現代の歌舞伎座まで、日本文化の奥深さを丸ごと味わえる物語なんですから。

「十八番」の語源は、江戸時代の歌舞伎に由来しています。天保3年(1832年)に七代目市川團十郎が、市川宗家のお家芸として選定した18種類の歌舞伎演目「歌舞伎十八番」が、この言葉の始まりです。「おはこ」という読み方は、市川家が大切な台本を箱に入れて保管していたことから生まれました。
現代では「得意なこと」「最も自信のある技や芸」という意味で広く使われている「十八番」ですが、その背景には市川團十郎という歌舞伎役者一門の230年以上にわたる歴史が深く関わっています。カラオケで「この曲は私の十八番です」と言ったり、料理上手な人が「カレーは私の十八番」と言ったりするように、日常会話でも頻繁に耳にする言葉となっています。本記事では、十八番の語源を歌舞伎の歴史とともに詳しく解説し、なぜ「十八」という数字が使われているのか、なぜ「おはこ」と読むのかについて、歌舞伎十八番に含まれる代表的な演目とあわせてお伝えしていきます。
十八番(おはこ)とは何か
十八番とは、現代の日本語において「得意なこと」や「最も自信のある技や芸」を意味する表現です。「じゅうはちばん」とも「おはこ」とも読み、特にカラオケの場面で「その人が得意とする曲」「持ち歌」という意味で使われることが多い言葉となっています。
この言葉の起源は、江戸時代の歌舞伎の世界にあります。七代目市川團十郎が天保3年(1832年)に選定した「歌舞伎十八番」という18種類の演目が、「十八番」という言葉の語源となりました。市川宗家が代々得意としてきた演目を18種類選び、それを「お家芸」として世に発表したことから、「十八番」は「得意なもの」を意味する言葉として広まっていったのです。
歌舞伎十八番の成り立ち
七代目市川團十郎による選定
歌舞伎十八番とは、天保3年(1832年)に七代目市川團十郎が、市川宗家のお家芸として選定した18種類の歌舞伎演目のことです。正式名称は「歌舞妓狂言組十八番」といい、初代から四代目までの市川團十郎が初めて演じ、かつ得意としていた演目を集めたものとなっています。
七代目市川團十郎は、天保3年3月、市村座で息子の海老蔵に八代目團十郎を襲名させた際、自らは五代目海老蔵となりました。このとき同時に「歌舞妓狂言組十八番」という摺物(刷り物)を出版して、歌舞伎十八番を世に発表しました。
選定された18の演目
歌舞伎十八番として選定された18の演目は、暫(しばらく)、矢の根(やのね)、鎌髭(かまひげ)、勧進帳(かんじんちょう)、不動(ふどう)、七つ面(ななつめん)、鳴神(なるかみ)、助六(すけろく)、蛇柳(じゃやなぎ)、象引(ぞうひき)、押戻(おしもどし)、解脱(げだつ)、毛抜(けぬき)、景清(かげきよ)、嫐(うわなり)、関羽(かんう)、不破(ふわ)、外郎売(ういろううり)です。
これらの演目は、いずれも市川家の創演とされる「荒事」という演技様式による一幕物の時代狂言であり、様式的な演出を持つことが特色となっています。
なぜ「十八」という数字なのか
七代目市川團十郎がなぜ「十八」という数字を選んだのかについては、いくつかの説が提唱されています。
仏教の「十八界」に由来する説
第一の説は、仏教における「十八界」に由来するというものです。十八界とは仏教用語で、眼・耳・鼻・舌・身・意の六種の感覚器官である「六根」と、その対象となる色・声・香・味・触・法の六種の「六境」と、六根が六境を認識する眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六種の心の働きである「六識」の合計18種の範疇のことを指します。このように「十八」は仏教において「すべてを表す」意味を持っており、それが市川家の芸の全てを表す数字として採用されたという説です。
阿弥陀如来の「弥陀の十八願」に由来する説
第二の説は、阿弥陀如来の「弥陀の十八願」に由来するというものです。阿弥陀如来が仏になる修行をしている時に立てた48種類の誓い(弥陀の四十八願)の18番目が「念仏をする人達を必ず救済する」というものであり、これが他の誓いより突出して重要であることから、十八番が得意なものの代名詞となったという説です。
縁起の良い数字としての「十八」
第三の説は、江戸時代以前から十八が縁起の良い数字とされていたからというものです。毎月18日は観世音菩薩の縁日でもあり、十八という数字は日本において特別な意味を持っていました。
いずれの説が正しいかは定かではありませんが、仏教と深い関わりのある数字であることは確かです。成田山新勝寺の不動明王を深く信仰していた市川家にとって、十八という数字は特別な意味を持っていたと考えられます。
なぜ「おはこ」と読むのか
「十八番」は「じゅうはちばん」とも「おはこ」とも読みますが、特に「おはこ」という読み方は独特です。この読み方の由来についても、いくつかの説があります。
台本を箱に入れて保管していたことに由来する説
最も有力な説は、市川家が歌舞伎十八番の台本を箱に入れて大切に保管していたことに由来するというものです。大切なものを箱に入れて保存する「箱入り」から転じて、「おはこ(御箱)」という読み方が生まれたとされています。
箱書きの認定に由来する説
もう一つの説は、箱の中身を真作と認定する鑑定家の署名を「箱書き」といい、その認定された芸という意味から「おはこ」という読み方が生まれたというものです。
いずれにせよ、市川家が大切に保管していた台本や芸が「箱入り」であったことから、歌舞伎十八番を「おはこ」と呼ぶようになり、やがて一般的な「得意なこと」という意味でも使われるようになったのです。
荒事という演技様式
歌舞伎十八番を理解するためには、「荒事」という演技様式について知る必要があります。
荒事の誕生と特徴
荒事は、元禄時代の江戸で初代市川團十郎によって創始された、荒々しく豪快な歌舞伎の演技様式です。荒事の主人公は、超人的な力を持つ正義の味方であり、隈取という独特の化粧や誇張された衣裳を身につけ、見得や六方といった様式的な演技を見せます。
荒事の特徴としては、隈取と呼ばれる赤や青の派手な化粧、誇張された衣裳と小道具、見得や六方などの様式的な演技、勧善懲悪的なストーリー、超人的な力を持つ主人公といった要素が挙げられます。
江戸庶民に愛された荒事の主人公
荒事に登場する主人公は、民衆を抑圧する権力者を懲らしめる英雄として描かれます。権威を嫌い、裏表がなく、弱い者いじめをしないというキャラクターは、江戸の庶民にとって理想の人物像でした。人口が急増した都市において日々を懸命に生きる人々の心を強くつかんだのです。
和事との対比
荒事の対極にある演技様式として「和事」があります。和事は元禄時代の上方(京都・大坂)で初代坂田藤十郎によって完成された、やわらかで優美な演技様式です。和事の主人公は、女性的なやわらかいしぐさやせりふ回しが特徴で、高貴な人物が何らかの事情で身をやつしているという設定がよく見られます。
市川團十郎の歴史と歌舞伎
初代市川團十郎と荒事の創始
初代市川團十郎(1660年から1704年)は、元禄時代の江戸随一の人気俳優であり、荒事芸の創始者として歴史に名を残しています。
初代團十郎の曾祖父・堀越十郎家宣と祖父・重左衛門は武田家の家臣であったことが、昭和初期の調査で判明しています。山梨県市川三郷町には「市川團十郎発祥の地」碑が建立されています。また、市川宗家は初代團十郎が成田山新勝寺にほど近い幡谷の出身であると公式に表しており、これが「成田屋」という屋号の由来となっています。
延宝元年(1673年)、14歳で初舞台を踏み、最初は市川海老蔵を名乗りましたが、延宝3年(1675年)から市川團十郎を名乗りました。貞享2年(1685年)、江戸市村座において『金平六条通』の坂田金平を勤め、それまでの初期歌舞伎にあった「荒武者事」と金平浄瑠璃の荒事とを加味して、歌舞伎における荒事芸を完成させました。
初代團十郎は自ら「三升屋兵庫」の名で台本も書いて、力強く豪快な荒事という歌舞伎の表現様式を確立しました。荒々しい演技や扮装によって信仰に近いほどの人気を集め、怪力をふるって悪者を倒す正義の勇者というキャラクターを生み出しました。しかし、初代團十郎は元禄16年(1703年)、舞台上で生島半六に刺殺されるという悲劇的な最期を遂げました。45歳でした。
七代目市川團十郎と歌舞伎十八番の制定
七代目市川團十郎(1791年から1859年)は、歌舞伎十八番を制定したことで知られる名優です。五代目の孫にあたり、寛政6年(1794年)8月に新之助と名乗って初舞台を踏みました。寛政8年(1796年)11月にはわずか6歳で初めての『暫』を演じ、翌年に六代目が急逝したため、10歳で七代目團十郎を襲名しました。
文化・文政期には、並み居る名優に囲まれて芸を磨き、芸域を広げていきました。四代目鶴屋南北の狂言の中で強烈な個性を発揮し、『東海道四谷怪談』の民谷伊右衛門に代表される「色悪」という役どころを確立しました。
天保3年(1832年)3月、息子の海老蔵に八代目團十郎を襲名させ、自分は五代目海老蔵となりました。このとき同時に歌舞伎十八番を制定し、『歌舞妓狂言組十八番』という摺物を出版しました。また、天保11年(1840年)3月には初代團十郎の百九十年記念興行として『勧進帳』を初演し、これが松羽目物の始まりとなりました。
しかし、七代目團十郎は波乱の後半生を送ることになります。天保13年(1842年)4月、奢侈を禁じる天保の改革により南町奉行所に召喚され、手鎖のうえ家主の預かりとなり、さらに6月には江戸十里四方追放の刑に処されました。江戸を追放された七代目は成田屋七左衛門と改名し、成田山新勝寺に寓居した後、大坂へ上りました。嘉永2年(1849年)12月の特赦により、ようやく追放赦免となりました。
九代目市川團十郎と歌舞伎の近代化
九代目市川團十郎(1838年から1903年)は「劇聖」と呼ばれた明治の大名優です。明治7年(1874年)7月、37歳のときに九代目市川團十郎を襲名しました。
九代目は、明治11年(1878年)6月から新富座で従来の歌舞伎の演技・演出を大胆に変え、写実主義的な「活歴物」と呼ばれる新作の芝居を積極的に上演するなど、演劇改良運動に力を注ぎました。しかし、長い間江戸歌舞伎に親しんできた庶民大衆からは反発と不評を買いました。
明治20年(1887年)、天覧劇として明治天皇の前で『勧進帳』『高時』を上演し、役者の社会的身分の向上を実現しました。明治26年(1893年)には『勧進帳』で人気を回復し、五代目尾上菊五郎・初代市川左團次らとともに「團菊左」と呼ばれる明治歌舞伎の黄金時代を築きました。
九代目は荒事から和事、立役から女形と幅広い役柄をこなしました。『暫』の鎌倉権五郎、『勧進帳』の弁慶、『助六所縁江戸櫻』の花川戸助六などが当り役であり、これらの演目のほとんどで、九代目が完成した型が今日の演出の手本となっています。
市川團十郎と成田山新勝寺の深い絆
成田屋の由来
市川宗家の屋号「成田屋」は、成田山新勝寺との深い関係に由来しています。初代市川團十郎の父親が現在の成田市幡谷の出身であったことから、市川家と成田山新勝寺は江戸元禄以来、成田山不動尊信仰の絆で結ばれてきました。
初代團十郎と不動明王信仰
貞享4年(1687年)、初代市川團十郎は子宝に恵まれなかったため、成田山新勝寺の薬師堂(本堂)に通って一心に求子祈願を行いました。その祈願が成就し、元禄元年(1688年)に長男・九蔵(後の二代目團十郎)を授かりました。
初代團十郎はこの霊験を大変喜び、元禄8年(1695年)に成田山不動明王を初演し、度々不動明王を演じました。こうして不動の役は市川家の十八番となり、「成田屋」の屋号もこの頃から始まったとされています。
元禄11年(1698年)頃、初代市川團十郎と10歳になった九蔵が中村座にて親子共演で『兵根元曽我』を初演しました。不動明王を主題としたこの芝居も大当たりし、團十郎親子は新勝寺に大神鏡を奉納しました。
不動の見得の秘伝
歴代の團十郎が不動明王を演ずる時の見得の一つに「不動の見得」という秘伝があります。この表現法は初代團十郎が七日間成田山に参籠して感得したと伝えられています。市川家の荒事と不動信仰は、その出発点で固く結ばれているのです。
成田山の隆盛への貢献
元禄時代、成田山新勝寺がご本尊を江戸に運んで参拝を得る「出開帳」を奉修した際、成田山不動明王に深く帰依する市川團十郎が不動明王の芝居を打ったこともあいまって、江戸庶民の絶大な信仰を集めました。團十郎が演じるお不動様を見た江戸の町民がこぞって成田山を訪れるようになり、やがて門前町が形成されていきました。
七代目團十郎も初代同様、跡継ぎに恵まれなかったため成田不動尊に祈願し、後の八代目團十郎を授かりました。また、文政4年(1821年)に1000両を奉じて額堂を建て、「三升の額堂」と呼ばれていました。
歌舞伎十八番の代表的な演目
勧進帳 ― 義経と弁慶の絆を描く名作
『勧進帳』は、歌舞伎十八番の中でも『助六』に次いで上演回数が多い人気演目です。能の『安宅』を元に創られた義経と弁慶を題材とした作品で、松羽目物の先駆けとなりました。
物語は、源義経一行が加賀国の安宅の関所を通過する様子を描いています。義経一行は山伏に変装して関所を通過しようとしますが、関守の富樫に疑われます。弁慶は何も書いていない巻物を勧進帳と見せかけて読み上げ、変装がばれないようにするために持っていた杖で義経を激しく叩きます。それを見た富樫は弁慶の痛切な思いに共感し、関所を通すのでした。
「読み上げ」と「山伏問答」における雄弁術、義経の正体が見破られそうになる戦慄感、弁慶の姿に心を打たれて通過を許す富樫の情、義経と弁慶主従の絆の深さの感動、「延年の舞」の巧緻さと「飛び六方」の豪快さなど、見どころが多く観客を飽きさせない演目となっています。
暫 ― 荒事の様式美を体現する演目
『暫』は、歌舞伎十八番を代表する荒事の演目です。現行の型は九代目團十郎が明治の中頃になって完成させたものです。主人公が「しばらく」と大音声で悪人の前に現れ、超人的な力で悪を懲らしめるという内容で、荒事の様式美を最もよく表しています。
助六 ― 最も上演回数が多い人気演目
『助六』は歌舞伎十八番の中で最も上演回数が多い演目です。江戸吉原で全盛の花魁揚巻の愛人である侠客花川戸の助六が、武士の髭の意休と対立する物語です。
助六はさんざんに悪態をついて喧嘩をしかけ、意休を怒らせて刀を抜かせます。実は助六は曾我五郎の仮の姿で、源家の重宝友切丸の行方を詮議していたのです。江戸っ子の代表のような美男子の助六と、意気地と張りを特徴とした吉原の遊女揚巻による、悪所を背景に展開する大衆の祝祭劇です。
鳴神 ― 美女の色香に迷う高僧の物語
『鳴神』は、美女の色香に迷って法力を失う高僧を描いた物語です。三条天皇のお妃がご懐任になり、北山の鳴神上人が王子誕生の祈願を行い、褒美として戒檀堂を建立する約束がありました。しかし王子が生まれた後、戒壇堂建立は沙汰やみになり、立腹した上人は法力で三千世界の竜神を竜つぼにとじこめ、雨を降らせなくしました。
朝廷は「くものたえま姫」を送り込み、姫は上人に近づいて酒を飲ませ、酔いつぶれた上人の隙に注連縄を切って竜神を解放し、雨を降らせます。欺されたと気づいた上人は恐ろしい雷神に姿を変じ、姫の跡を追っていきます。
矢の根 ― 正月の恒例演目
『矢の根』は曽我物の一つで、正月の恒例演目として親しまれている作品です。親の仇を討つため貧乏暮らしでも日々鍛錬する曽我五郎時致が主人公です。正月に五郎が宝船の絵を敷き、砥石を枕にして居眠りをすると、夢に兄の十郎の生霊が現れ「祐経に捕らえられた、起きて助けに来てくれ」と呼びかけます。五郎は飛び起き、たまたま大根を売りに来た馬子の馬をむりやり奪って乗り、大根を鞭にして馬を急がせ、兄のもとへと向かいます。若々しく超人的な豪快さとしゃれっ気を見せる、動く絵画のような様式美が特徴です。
毛抜 ― 奇抜な趣向の推理劇
『毛抜』は、日用品の毛抜きが外題となり、それが磁石とともに話の進行に大きく関わるという奇抜な趣向の芝居です。公家小野春道の息女である錦の前は、髪の毛が逆立つという奇病により婚儀が滞っていました。主人公の粂寺弾正が何気なく床の上に置いた毛抜が勝手に立って動くことに気づき、そこから推理を働かせて、天井に隠された磁石と、鉄でできた髪飾りが原因であることを突き止めます。消えた家宝、原因不明の奇病、突然踊りだす毛抜と、次々と起こる不思議な出来事の謎を解き明かす痛快な推理劇です。
外郎売 ― 早口言葉で知られるせりふ芸
『外郎売』は、享保3年(1718年)に二代目市川團十郎によって初演された、「ういろう」の由来と薬効を早口言葉で演じるせりふ芸です。
二代目團十郎が喉の病に苦しみ舞台に立てなくなる役者生命の危機に陥ったとき、小田原の外郎家の「ういろう」を服用して回復したとされています。二代目團十郎はその効能に感謝し、優れた薬効を舞台で披露することを提案しました。
荒事の芸の一つに長いセリフをよどみなくしゃべるというものがあり、二代目團十郎は外郎売の宣伝のセリフをとても長い早口言葉にして人気を得ました。「外郎売」の台詞は大当たりし、江戸ばかりではなく京都、大阪にも伝えられました。現在では演劇学校やアナウンサー養成などで、発声や滑舌の練習のための教材としても使われています。
曽我兄弟と歌舞伎の深い関わり
曽我兄弟の仇討ちとは
歌舞伎十八番には『矢の根』『助六』『外郎売』など、曽我兄弟を題材とした演目が多く含まれています。曾我兄弟の仇討ちは、建久4年(1193年)5月28日、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を富士野にて討った事件です。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つとして知られています。
仇討ちの発端は安元2年(1176年)10月、兄弟の父である河津祐泰が伊豆国奥野の狩庭で工藤祐経の郎従に暗殺されたことによります。祐泰が31歳、一万(後の十郎)が5歳、箱王(後の五郎)が3歳の時のことでした。兄弟は18年もの間様々な苦難に耐えて仇討ちを果たしました。しかし、兄祐成はその場で討ち取られ、弟時致は捕らえられて処刑されました。
曽我物語の成立と展開
初期には関東の地理的・歴史的な実情を色濃く写した「真名本」が盲目の僧らによる語り物として継承されました。これが京都に持ち込まれると、史実性が薄められたかわりに、よりドラマチックな「仮名本」が生まれました。曽我兄弟の地元である箱根や伊豆地方では、仇討ちのあと哀れな死を遂げた兄弟の霊を鎮めるために、彼らの物語を巫女たちが語り広めました。これは「曽我語り」と呼ばれています。
歌舞伎における曽我物
歌舞伎における曽我兄弟の物語は「曽我物」と呼ばれ、非常に人気のあるジャンルとなりました。1683年(天和3年)には近松門左衛門の浄瑠璃「世継曽我」が江戸で一世を風靡しました。歌舞伎では、江戸で1720年代(享保)頃より毎春(正月)に曽我物の上演が定着し、「曽我狂言」と呼ばれるようになりました。
歌舞伎における曽我物の特徴として、十郎が和事、五郎が荒事として演じられ、本来は悪人である工藤祐経が立役(善人)となり、一座の座頭が演じる役となった点が挙げられます。歌舞伎十八番の中でも、『曾我対面』『外郎売』『矢の根』のように兄弟の仇討ちを直接主題にしたものから、主人公が実は曾我五郎であるという設定の『助六由縁江戸桜』まで、様々なヴァリエーションが生まれています。
見得と六方 ― 歌舞伎の様式美
見得とは
重要な場面で登場人物の気持ちが高まったときに、俳優が力を込めた姿勢でしばらく動きを止める演技が「見得」です。感情の高まりなどを表現するために、演技の途中で一瞬ポーズをつくって静止する演技をさし、その人物をクローズアップさせる効果があります。
静止する前には、首を回したり、手を広げたり、足を踏み出したりする動作を伴います。荒事の役では、より効果的に見せるために、直前に大きく首を振ったり、足を大きく踏み出したり、手を大きく広げたりする動作を伴います。また若衆役や世話物の役では、あごを引く程度の小さな動きで表現します。
見得の際は呼吸も詰めるのが原則です。身体の中にエネルギーをとどめ、それが時として劇場中を支配してしまうほどの迫力を生み出します。多くの場合、見得の瞬間には「ツケ」と呼ばれる効果音が打たれます。
見得の種類
見得にはいくつも種類があります。左足を踏み出し、左手で刀を握り、右手を後ろへ張るのは「元禄見得」です。石を投げたような格好になるのは「石投げの見得」といいます。他にも「柱巻きの見得」「天地の見得」「不動の見得」など、実に多彩な見得があります。特に市川家に伝わる「不動の見得」は秘伝とされ、初代團十郎が成田山新勝寺に七日間参籠して感得したと伝えられています。
六方とは
六方は歌舞伎の特殊演技の一つで、先行芸能や祭礼行事などの歩き方を様式的に誇張・美化したものです。主に荒事の引っ込みの芸として演じられます。六方では、手足の動きを誇張して、歩いたり走ったりする様子を象徴的に表現します。おもに荒事の役が花道を引っ込む時に演じられ、力強さと荒々しさを観客に強く印象付けます。
最も有名な六方は『勧進帳』の「飛び六方」です。弁慶が主君である義経を急ぎ追いかける様子を、全身を使ってダイナミックに表現します。花道を駆け抜けていく弁慶の姿は、歌舞伎を象徴する場面の一つとして広く知られています。
ツケについて
演技に合わせて舞台の脇で鳴らされる効果音が「ツケ」です。二本の木を板へ打ち付け、バタバタと音を出します。動作や物音を強調する役割があり、特に見得ではよく用いられます。ツケの音が入ることで、演技にリズムとメリハリが生まれ、観客の注意を引きつける効果があります。
隈取 ― 歌舞伎独特の化粧法
隈取の誕生
隈取とは、歌舞伎独特の化粧法のことです。初代市川團十郎が坂田金時の息子である英雄坂田金平役の初舞台で、紅と墨を用いて化粧したことが始まりと言われています。「隈」は光と陰の境目を意味し、血管や筋肉などを大げさに表現したものです。
隈取が生まれた背景には、歌舞伎が流行した江戸時代の舞台の薄暗さがあります。照明がなく遠くの観客に表情が見えにくい課題を解消するために、隈取という手法が生まれました。
隈取の色と意味
赤色(紅隈) は正義、強さ、勇気を意味し、正義の味方・若々しく力強い英雄といった役に使われます。赤色の筋が多いほど、力強さや怒りの感情が溢れ出し、血の気が多く勇敢な様子を表現しています。荒事の代表的な隈取です。
青色(藍隈) は悪人や敵役に使われます。悪人には青い血が流れていることに由来し、悪人の冷酷さを表現します。特に藍色の隈取が使われる場合は、悪人の中でも身分の高い悪役です。不気味さを連想することから、恨みを持つ亡霊や嫉妬深い女性にも青色の隈取が使われます。
茶色(代赭隈) は、鬼や妖怪といった人間以外の登場人物に使われます。暗い色味は、得体の知れない怪奇な存在の恐ろしさや不気味さを表現しています。
隈取は100種類ほどあるともいわれ、代表的なものには筋隈、むきみ隈、一本隈、公家荒れなどがあります。
現代における「十八番」の使われ方
日常会話での使用
現代の日本語において、「十八番」は日常会話で頻繁に使われる言葉です。特にカラオケの場面で使われることが多く、「その人が得意とする曲」「持ち歌」という意味で用いられます。「この曲は私の十八番です」「彼の十八番は何ですか」といった使い方が一般的です。
カラオケ以外でも、飲み会や忘年会などで披露する得意なものまねや一発芸、手品、料理なども「十八番」として使えます。「カレーは母の十八番だ」「彼のものまねは十八番だね」といった具合です。また、「十八番」は「得意なもの」という意味だけでなく、「定番」というニュアンスでも使われることがあります。「その人が必ずやること」「いつもの」という意味合いです。
ネガティブな使い方
「十八番」はポジティブな意味で使われることが多いですが、ネガティブなニュアンスを込めて使われることもあります。例えば、いつも同じ言い訳をする人に対して「また十八番の言い訳だね」と皮肉を込めて言ったり、仮病を使って会社や学校を休むような人に対して「仮病は彼の十八番だ」と嫌味を込めて言ったりします。
類語と言い換え表現
「十八番」の類語・言い換え表現としては、お家芸、得意芸、専売特許、長所、取り柄、強み、得手、特技、得意分野、得意技、お株、レパートリー、持ち歌などがあります。
なお、「お家芸」と「十八番」には微妙な違いがあります。「お家芸」は家や国などの団体に対して使うことが多いのに対し、「十八番」は個人の技や芸に対して使うという傾向があります。
英語での表現
「十八番」を英語で表現する場合、「forte」や「specialty」などの単語が使えます。カラオケの十八番であれば「go-to song」という表現も適切です。「go-to」は「間違いない」「いつもの」「頼りになる」といった意味があり、「go-to song」は「間違いない選曲」で「十八番」を意味します。
現代に受け継がれる市川團十郎
十二代目市川團十郎
十二代目市川團十郎(1946年から2013年)は、屋号は成田屋、定紋は三升です。1985年4月から6月にかけて歌舞伎座での3ヵ月に亘る襲名披露興行で『勧進帳』の弁慶、『助六』の助六などを勤め、十二代目市川團十郎を襲名しました。
十二代目は歌舞伎十八番の復活上演に尽力し、『毛抜』『外郎売』などの演目を現代の観客に伝えました。2004年5月には長男の十一代目市川海老蔵襲名前後に白血病を発症し、闘病生活を送りながらも舞台に立ち続けました。2013年2月に66歳で逝去しました。
十三代目市川團十郎白猿の襲名
2022年10月31日および11月1日、歌舞伎座において『十三代目市川團十郎白猿襲名披露記念 歌舞伎座特別公演』が行われ、十一代目市川海老蔵が「十三代目市川團十郎白猿」を正式に襲名しました。約2年6カ月にわたり延期されていた襲名披露公演が、2022年11月と12月の2カ月間にわたり歌舞伎座にて開催されました。
また、長男の堀越勸玄が八代目市川新之助を襲名し、9歳で『毛抜』の粂寺弾正に挑むなど初舞台を踏みました。江戸時代から代々の名優が歴史を重ねてきた歌舞伎界において、9年ぶりの團十郎復活は大きな意義を持つ出来事として注目を集めました。
現代においても、市川家は歌舞伎十八番を守り伝え、成田屋の屋号とともに荒事の伝統を継承し続けています。
まとめ
「十八番」という言葉は、江戸時代の歌舞伎の世界から生まれ、現代の日常会話にまで広く浸透しています。その背景には、初代市川團十郎による荒事の創始から、七代目市川團十郎による歌舞伎十八番の制定まで、市川宗家の230年以上にわたる歴史があります。
成田山新勝寺の不動明王を深く信仰し、「成田屋」の屋号を名乗る市川家は、荒事という独特の演技様式を生み出し、それを十八の演目として後世に伝えました。「十八」という数字には仏教的な意味が込められ、「おはこ」という読み方には大切な台本を箱に入れて保管していたという逸話が隠されています。
現代では、歌舞伎十八番の演目は今でも上演され続けており、『助六』『勧進帳』『暫』などは特に人気が高い演目として知られています。そして「十八番」という言葉は、カラオケでの持ち歌から日常の得意技まで、幅広い場面で使われ続けています。
言葉の由来を知ることで、何気なく使っている表現にも深い歴史と文化があることに気づかされます。「十八番」という言葉を使うとき、江戸の歌舞伎小屋で荒事を演じた市川團十郎の姿を思い浮かべてみるのも、言葉を味わう一つの楽しみ方かもしれません。









コメント